『シュピラール』楽曲解説

 1968年作曲。任意の楽器(声)を演奏するソリストと短波ラジオのための作品。短波ラジオが受信した音声をソリストが模倣し、+や=などの記号で書かれた特殊な楽譜の指示に従ってそれを即興的に変形させていくため、演奏結果は毎回異なる。曲名のシュピラール(=螺旋)はこの楽譜の『螺旋記号』に由来する。この記号の箇所は、演奏者は素材を何度も変形させ、その過程で「自分の技術的限界を超越する」ことが要求される。これは、生涯にわたって常に新しい試みを行ったシュトックハウゼン自身の作曲上のモットーでもある。

#以下、2008年、東京大学に於けるシュトックハウゼン企画のレクチャーのためにまとめたメモ

SPIRAL (1968)
für einen Solisten mit Kurzwellen-Empfänger

短波ラジオから受信された音声が、ソリストによって模倣、変形、超越される。
ソリストは任意の楽器、声、各種エフェクターなどの電子機器などを単独、あるいは同時に演奏可能である。

この作品は「イヴェント」と呼ばれる小部分の連なりが様々な長さの「休止部」によって区切られる。
各イヴェントは、短波ラジオと楽器(声も含む:以下同様)、又は楽器のみで演奏される。
休止部は完全な沈黙、または弱音で演奏される短波ラジオの音声(ここでラジオのチューニングを変える事も可能)から成る。

楽譜の全部分を演奏することは必須ではなく、任意の波線を開始、終了地点とする事が可能である。

任意の素材が演奏可能な冒頭のイヴェントを例外として、すべてのイヴェントの演奏内容は記譜された+, -, =などの記号に基づく。これは直前のイヴェントの4つの属性(D=持続時間、R=音域、i=強度、G=アタックやアクセントで区切られる文節数)をどのように変形されるかを示す。

+は、より長く、より高く、より強く、文節数をより多く、のいずれか
-は、より短く、より低く、より弱く、文節数をより少なく、のいずれか
=は4つの属性すべてを同じに保つ。

一つの記号には一つの属性の変化が割り当てられる。
複数の記号が組み合わされている場合は、それぞれの記号に別の属性の変化を割り当てる。
以上の割り当ては演奏者によって任意に割り当てられる。
(演奏にあたって、この割り当てや文節数をあらかじめ決めておくことが推奨される)

ちなみに、各「文節」では単一の音(和音)、数音から成る音群、急速な音群による音集合のいずれかからなり、短波ラジオの音量調節を、この文節の明確化のために用いる事も可能である。

イヴェントの素材は直前のイヴェントの場合もあれば、あらたに選択された短波ラジオの音声の場合もある。この選択のタイミングは演奏者の自由である。
短波ラジオの音声の選択に関しては、音楽や話し声などの具体的な音響から、モールス信号、ノイズなどの抽象的な音響までの多様性を得る事が重要である。

シュピラール記号
この記号の場所では、指定された+,-などの記号に従って全ての属性を何度か繰り返し変形させる。その過程でこの時点までに使用した演奏技術の限界、楽器自身の限界を超越する事が求められる。このために視覚的、演劇的要素が演奏に持ち込まれてもよい。
そして、そこで拡張したテクニックを保持し、今後のこの作品の演奏で使用する事が求められる。

この作品を何度も演奏する事により、演奏者の音楽的可能性が「螺旋」のように永遠に拡張されている事が目論まれている。

このコンセプトは、シュトックハウゼンの作曲姿勢そのものでもある。
彼の生涯の作品を螺旋上にならべたイラストもある。

その他の記号
規則的な繰り返し
装飾
エコー
交換
交換→ポリフォニー
(水平的、または和声的)結合
拡張、縮小
予感、回想


作品の立ち位置

KLAVIERSTÜCKE V-X(1954-55)やZEITMASZE(1955-56)では、人間の演奏ゆえに生じる楽曲細部の不確定性を追求。

KLAVIERSTÜCK XI(1956)、ZYKLUS(1959)、REFRAIN(1959)を皮切りに、演奏ごとに楽曲構成自体の異なるような、多義的な作曲法を追求。
但し、演奏素材自体は作曲者によって作られている。

1964年以来、共演を重ねた音楽家たちと、ライヴ・エレクトロニクスも取り入れた即興演奏の試みをはじめる。
ライヴ・エレクトロニクスによるリアルタイムの電子変調の効果は、作品の構造が完全に確定していない方が、その面白さを引き出しやすい。
PROZESSION(1967)では、シュトックハウゼンの過去の作品の断片が+, -などの記号に基づいて変形される。
KURZWELLEN(1968)では短波ラジオの音声に基づいて演奏する。
これらの作品では、演奏素材自体が作曲者のコントロール外におかれ、作曲者は素材の変形の「プロセス」を作曲する。

AUS DEN SIEBEN TAGEN(1968)では、演奏素材を「超意識」の領域から「受信」する。
短い詩のようなテキストが「楽譜」となるが、それまでの+や-の記号で素材を変形させる発想がここにも見られる(50年代以来のセリエルな思考の延長線上)。

ジャズなどの一般的な即興演奏においては、そのジャンル特有のクリシェに基づいている。
シュトックハウゼンはそうした方向性を嫌い、特定のクリシェに基づかない真に自由な即興演奏を求めた。本人は「即興演奏」ということばではなく、「直観音楽」ということばを使用。

#「リタナイ」のテキストの中に、音楽家は自分で何かを生み出すのではなく、高次な存在からのメッセージを聴衆に伝えるメッセンジャー(=ラジオ受信機)であるという記述がある。

MANTRA(1970)において、旋律素材に基づいて楽曲を構成するフォルメル技法を開発。メロディーという属性は50年代、点や群で作曲していた時期には忌避されていたものだが、新しい意味付けをここで発見。

なぜ短波ラジオか

どのような演奏素材が出てくるか分からない、ブラックボックスとしての側面。
短波放送の特性により、演奏地点から遠く離れた世界各地の放送も受信可能(cf. TELEMUSIK, HYMNEN)。世界中の様々な言語、音楽を素材とする事ができる。
モールス信号、曲間のリング変調などのノイズ成分のヴァリエーションも豊かなので、楽音から抽象的な電子音響まで様々なレベルの音色を素材として使用できる(cf. KONTAKTE etc.)。

1960年代後半から1970年代前半の作曲状況をみると、不確定性、多義性→即興演奏→直観音楽→フォルメル技法への転換、といった単純な変遷ではなく、様々な作曲法を同時期に使用している事が分かる(下記表)。

例えば、SPIRALはAUS DEN SIEBEN TAGENや直観音楽集の続編FÜR KOMMENDEN ZEITENのいくつかの作品の作曲後に作られ、MANTRAの作曲の合間を縫うように、FÜR KOMMENDEN ZEITENの残る部分が作曲されている。
さらに、この時期の作品には、それまでの詩的で短いテキストでなく、かなり具体的な演奏指示の書かれた長めのテキストによるもの、五線譜でメロディーが記譜されたものも含まれる(JAPAN, CEYLON)。

SPIRALでの素材を変形させる手法は、MANTRAでメロディーを変形させる方法との共通点も多い。

したがって直観音楽からフォルメル技法への移行は一般的に思われているほど、急激な方向転換という訳ではない。
CARRÉ(1959-60)以降、常に全体構造に不確定性をもつスコアを書いていたシュトックハウゼンはMANTRA(1970)を皮切りに(厳密には3分ほどの小品Dr. K – SEXTETTが初)、確定されたスコアによる作曲へと回帰するが、この後も演奏者に独自のヴァージョンを作るようにうながす作品も数多く存在する。

1966年 HYMNEN作曲開始
1967年5月 PROZESSION
1967年11月 HYMNEN完成
1968年2〜3月作曲 STIMMUNG(@アメリカ)
1968年(4月)作曲 KURZWELLEN(初演5月5日)
1968年5月7日〜11日作曲 AUS DEN SIEBEN TAGEN
1968年8月作曲 FÜR KOMMENDEN ZEITENより5曲(ダルムシュタット講習会期間)
1968年9月作曲 SPIRAL(@アメリカ)
1969年1月作曲 Dr. K – SEXTETT
1969年1月〜4月頃 HYMNENオーケストラ版(@アメリカ)
1969年9月22日 FÜR KOMMENDEN ZEITEN「INTERVALL」(@コルシカ)
1969年12月〜70年1月 EXPO
1970年2月4日 FÜR KOMMENDEN ZEITENより3曲(@バリ)
1970年2月 POLE(@バリ)
1970年5月1日〜6月20日 MANTRAのスケッチ(@大阪)
1970年7月4日〜7日に8曲 FÜR KOMMENDEN ZEITEN(@セイロン)
1970年7月10日〜8月18日 MANTRA(@キュルテン)