《光の日曜日》は7つのオペラからなる超大作《LICHT 光》の最後に位置する作品であり、このオペラのテーマは「ミヒャエルとエーファの神秘の結婚」である。このオペラを構成する5つの各場面の作曲に対するアイデアの多くは、このモットーから導きだされている。
最も顕著なのが、「二者の結婚」ということから導きだされた、様々な要素をペアリングする、というアイデアである。
まず、各場面のタイトルがすべて二つの言葉の組み合わせになっている。
第1場面:LICHTER – WASSER(光=水)
第2場面:ENGEL – PROZESSIONEN(天使=行進)
第3場面:LICHT – BILDER(光=映像)
第4場面:DÜFTE – ZEICHEN(香り=印)
第5場面:HOCH – ZEITEN(至高=時)
さらに《HOCH-ZEITEN》はほとんど同一の楽譜による、合唱版とオーケストラ版という2つのヴァージョンがあり、この2つのヴァージョンが離れた位置にある2つの会場で同期して演奏される(7箇所で別会場の演奏が生演奏とミックスされる)。演奏者または聴衆が会場を移動した上でもう一度演奏されるので、この作品自体がペアとして聴かれることとなる。ちなみにこの曲のタイトルはHochzeit(結婚)の複数形とも等しい。
《光》全曲は、本作の主人公、ミヒャエル、エーファ、ルツィファーを象徴する3つのフォルメル(=旋律素材)を重ねた3声の「ズーパーフォルメル」(演奏時間1分)をもとに作曲されているが、《光の日曜日》においては、当初の計画を変更しルツィファー・フォルメルを省略した2声構造をもとにして作曲している部分が多い(注)。
LICHTER-WASSERの主要部分では、ミヒャエルのフォルメル(高音域)とエーファのフォルメル(低音域)による2声のポリフォニーが、客席内に散らばったオーケストラ奏者によって音色旋律(この演奏条件だと、当然音源も動きまわる)によって演奏される。ソプラノとテノールの二人の独唱者は、この器楽部分に寄り添うようなメロディー・ラインが割り当てられている。
ENGEL-PROZESSIONENは、客席内を練り歩きながら歌う7群の合唱団のための作品。コーラスの各群は、7つずつに分割されたミヒャエルとエーファのフォルメルの断片の49通り(=7×7)の組み合わせによる2声のポリフォニーを演奏する。
LICHT-BILDERはフルートとバセットホルン、テノールとトランペットという二組のデュオによる作品。各デュオは、一種の複雑なカノンを演奏する。1音ごとに先行するパートからの音価がだんだん伸び、そしてだんだん縮むという構造になっていて、さらに後続するパートはリング変調によって、音響による「影」が付加される。各デュオで演奏される素材は、53部分(=1+2+3+5+8+13+21)に細かく分節した上で逆行させたミヒャエル、エーファの両フォルメル。
DÜFTE-ZEICHENでは、全曲を構成する7つのセクションの様々な要素が2部分から構成される。各セクションで歌われる歌詞は前半と後半で内容が異なる。ひとつは各曜日の香りについて(実際に香がたかれる)、もうひとつは各曜日を象徴するマーク(旗のように掲示される)についての2種類の歌詞だ(順序はセクションによって異なる)。それぞれのセクションには、7部分ずつに分割されたミヒャエル、エーファ両フォルメルの骨格となるセリーが作曲素材として割り振られているが、その2つのフォルメル断片を旋律的または対位法的につなぎあわせた短いフレーズの繰り返しによって各セクションが構成されている。
ちなみに、作品の最後にはアルトとボーイ・ソプラノによる二重唱が置かれるが、この声の組み合わせは《LICHT》においては極めて異例だ。これは母と子の象徴と思われるが、熱心なカトリック信者であったシュトックハウゼンの発想から、これが何を意味するかは明らかであろう。
HOCH-ZEITENは合唱団、またはオーケストラが5群に分けられるが(各群は常に異なるテンポで演奏)、各群は2声部構成となっている。各セクションの基礎となるピッチの持続、そこからグリッサンドなどによる他のピッチへの逸脱の2つの役割が拍単位で細かく交代する。オーケストラ版では、作品中の7箇所で、それぞれ異なるオーケストラ奏者によるカップルが舞台前面に進みでて7つのオペラを回想する二重奏を演奏する。この部分は、特にオペラ形式で演奏されるとき、男女の奏者の組み合わせで演奏されることが推奨されている。合唱版では、作品の後半、突如ステージに現れたトランペット奏者と、合唱団内のソプラノ歌手によるデュオが用意されている。
ちなみに、シュトックハウゼンは3人の主要キャラクターと、特定の楽器、歌手を対応させている。
すなわち、
ミヒャエル:トランペット、テノール
エーファ:バセットホルン、ソプラノ
ルツィファー:トロンボーン、バス
(注)《光の土曜日》でルツィファーは死んでしまうので、《光の日曜日》に彼を象徴する音楽要素が作品に登場するのは相応しくないと判断し、ルツィファー・フォルメルを削除した。なお、切り離されたルツィファー・フォルメルの部分は《ルツィファーの牢獄》というタイトルが付けられ、大まかなスケッチも残っているが、実際に作曲されたかどうかは不明。シュトックハウゼンのレクチャーでは、この作品は、《光の日曜日》が演奏されているときに同時に地下のどこかで演奏されるべきだ、というような説明が、半ば冗談、半ば本気でなされていた。