今年も参加してきました。
ただし、スケジュールの都合で2週間以上にわたる講習会の後半のみでした。
前半にはKLANGの新作の演奏やPROZESSIONやZEITMASZEといった本講習会ではなかなか演奏されない作品の演奏もあったので、これらを聞けないのが残念でした。
私が参加した後半ではKLANG唯一の電子音楽、13時間目COSMIC PULSES(これは何度聴いても面白いです)やそこからの派生作品、14時間目HAVONA(バス独唱と電子音楽)、19時間目URANTIA(ソプラノ独唱と電子音楽)そして受講生コンサートでは20時間目EDENTIA(ソプラノ・サックスと電子音楽)も聴くことが出来ました。現時点ですでにこの3曲ともCDで聴くことができますが、やはり8チャンネルでぐるぐるとうごめく電子音を聴く方が圧倒的に面白いです。
後半は演奏者を一切必要としない電子音楽のコンサートが多く、一晩に出演する演奏者ゼロという日も多かったのが特徴です。作品はどれも面白いのですが、電子音楽ばかりが続くのも何だかなぁ、というのが正直な感想です。
ただし、儲け物だったのが、受講生コンサートの余った枠で上演された「ティアクライス」オーケストラ版の録音です。世界初演のリハと本番の録音から編集したステレオ録音ですが、4チャンネル使って再生することにより、天国から降り注ぐような音響を実現していました。
そうした中、生身の演奏者によるコンサートにはいくつかの圧倒的なハイライトがありました。
まずは、ピアノ・クラスの講師ベンヤミン・コブラーと打楽器クラスの講師スチュアート・ゲルバーによる《コンタクテ》が圧倒的でした。
この作品は受講生によるコンサートで演奏されることが多いのに(この二人も受講生であったときに、それぞれ別の年に演奏しています)、なぜか講師のコンサートでは滅多に演奏されず、今回は講師のコンサートとしてはほぼ10年ぶりの演奏となります。
今回サウンド・プロジェクションを担当したブライアン・ウォルフは、これまで、受講生コンサートでの音響操作をまかされることが多く、シュトックハウゼンのダメ出しが厳しすぎたせいか、「弱気」な仕上がりになることが少なくなかったのですが、今回は「強気」なアプローチで迫力も十分、かといって音色が粗雑になることも決してなく、生楽器と電子音の音色のつながりやバランスも入念にコントロールされた素晴らしい出来でした。
全く異なるふたりのキャラクターの対比も面白かったです。
そして、《腹のなかの音楽》も約10年前に本講習会で演奏された演目、その時は受講生コンサートで演奏されましたが、同じアンサンブルが今回は、正式なコンサートの枠で出演しました。私にとっては実演初体験となるこの作品、音だけ聴いても、いまひとつその魅力が分かりずらかったのですが、実演に接して見方ががらっと変わりました。音楽的には《ティアクライス》から演奏者によって任意に選ばれた3つのメロディーがさまざまな金属打楽器によって演奏される(ただし極端に遅いテンポで、そして複数のメロディーが同時に)だけの極めてシンプルな構成ですが、それが巧みな舞台演出を伴うことによって俄然面白みを増します。
6人の打楽器奏者の機械仕掛けの人形のような動きは、マイムの専門家によってしっかりとトレーニングされ、それ自体だけですでに秀逸、その動きがもとのメロディーがかろうじて認識できるくらいの極端に遅いテンポで演奏され、そのオリジナルのメロディーが作品終盤でオルゴール(=自動演奏機械)によって「種明かし」される構想と連関している「しかけ」も巧みです。
ちなみに上の写真中央にぶらさがっているのが、鳥人間「ミロン」、3人の打楽器奏者がはじめは彼の体を棒で叩き(様々な鈴状の楽器が付いているので叩かれるたびに可愛らしい音をたてます)、最後にはハサミでお腹を引裂き、中からオルゴールを3つ取り出します。
この、現実離れしたメルヘンチックな展開はシュトックハウゼンの「子供」心を象徴しています。
この日だけなぜか、客席に小学生くらいの子供が沢山いましたが、おそらくシュトックハウゼン音楽財団から近くの子どもたちに招待状を出したのだと思います。
時として奇跡的な演奏が起こることもある本講習会の受講生コンサート、まちがいなくここ数年のベストが《祈り》の演奏でしょう。
近年はカティンカ・パスヴェーアとアラン・ルアフィの二人によって演じられることの多い本作品、今回は3人での演奏となりました。ロシア人とポーランド人の受講生、そして講師のアラン・ルアフィの3人です。
オーケストラの演奏と完全にリンクした様々な祈りのポーズのジェスチャーを演ずる本作品、初演時はアラン・ルアフィ一人で演じられていましたが、即興的な振り付けではなくきちんと「作曲」されていることを視覚的にはっきりさせるために、二人で演じられることがだんだん通例化していきました。
約20年前にはじめて3人のダンサーによってこの作品が演奏され、そのために特別な舞台装置が作られましたが、今回はその時以来初めての3人による演奏、巨大なその装置もその時以来初めて使用されることとなりました。
初演者のアラン・ルアフィは、初演のために3ヶ月前から小屋に籠って、毎日8時間をこえる超人的なリハーサルをこなし、以来30年以上この作品を演じ続けているベテラン(普段はあまりにもケッサクすぎるオジさんなのですが。。)、その彼の教えを受けた二人の受講生も、今回の演奏の「お許し」が出るまでに、一人は9年、もう一人は5年を費やしました。
何度か演奏の可能性があったものの直前で許可が下りず、苦い思いもした二人ですが(ロシア人の受講生はヴィザが降りずに講習会の参加自体を断念しなくてはならない年もありました)、ついに3人ヴァージョンという特別な形式で本番を迎えることができました。
二人の生徒の動きには、ちょっとした仕草がものすごいパワーを感じさせる師アラン・ルアフィの境地に比べると、さすがに見劣りがする面も否めないものの、そうした欠点を補ってあまりある気迫が、演奏からありありと感じられました。
ここまでの感動は、何度も参加した本講習会の中でも一二を争うものでした。
もともと日本の銀行から委嘱されながらも、なぜか日本初演の実現していない、この作品、初演者アラン・ルアフィの体が自由に動く内に、日本での演奏を成し遂げて欲しいものです。
今年の講習会のマスター・クラスでは、昨年に引き続き《私は空を散歩する》を勉強しました。今回のポイントは、この曲の初演者であり、以降シュトックハウゼン監修のもとで10年以上この作品を演奏したHelga Hamm-AlbrechtとKarl O. Barkey両氏(今年の講習会の特別講師として呼ばれていました)の集中的な指導を受けることができたことです。この両氏は他にも《シュティムング》の初演も行っていますし、Helga Hamm-Albrechtは大阪万博での演奏のために日本に長期滞在もしている、シュトックハウゼン演奏の老舗といえる演奏家です。
昨年指導を受けたNicholas Isherwood氏もこの曲に関してシュトックハウゼンの直接の指導を受けているのですが、この両氏に比べると、同曲に関しては演奏経験が極端に違うので、極めて重要な機会になりました。
《私は空を散歩する》は、12の部分のテンポ、ディナーミクを、作曲者によって提示された指定の中から組み合わせ、他にも任意の名前を呼んだり特殊唱法を考えたりと、演奏者に委ねられる部分が多いのですが、その辺りの解釈法がレッスンの重要なポイントになりました。
スコアの指示を文字通り読めば、ルールの範囲内で自由にやっても良いはずなのですが、この両氏の経験では、ルールに従っていてもシュトックハウゼンが気に入らない場合がある、とのことでした。ある特定のフレーズには、シュトックハウゼンの強く思い描いたイメージがあり、それを壊すようなテンポやディナーミクの選択を行ってはいけない、そして逆に、そのイメージを表現するためには若干の自由(つまりルールからの部分的な逸脱)が認められる、ということでした。
レッスンの中心は、こちらが用意したヴァージョンのそうした面での問題点を洗い出し、テンポやディナーミクの若干の変更を施して改善していく作業でした。スコアだけからは絶対にわからない、演劇的なジェスチャーなどについても、シュトックハウゼンがどのような動きを具体的に指示したか、ということに関してアドバイスをもらいました。
この曲は、シュトックハウゼンの全作品の中でもスピリチュアルな側面が特に重要となっていて、彼の描いたイメージを明確に表現することがいかに大切か、ということを何度も繰り返し説明されました。
もっとも、この曲に限らず、シュトックハウゼン作品でいろいろな選択可能性がある作品には、スコアの指示だけからは分からない、微妙な制約があることはよくあります。
おもに、実際に演奏を重ねていく上で生じた問題点を解決する上で、そうしたスコアにない変更が施されることもありますが、作品数があまりに多くて、楽譜の修正が追いつかない問題点もあります。
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《ピアノ曲XI》は当初の、19の断片の演奏順をリアルタイムで決める、というコンセプトが(正確に演奏することが困難なため)却下されて、事前に作成した自分用のヴァージョンを演奏するとか(しかしこれは出版されている楽譜には記載されていません)、《ルフラン》、《ストップ》、《ミクストゥール》に関しては不正確なリアリゼーションに辟易して、自ら、確定された楽譜による新しい版を出版したり、ということがあります。
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この二人もシュトックハウゼンとリハーサルしながら、少しずつヴァージョンを修正し、彼らの間での「ベスト」を何年もかけて作り上げていった、と話していました。
シュトックハウゼン演奏には、テンポやアーティキュレーションを楽譜どおり厳密に演奏しなくてはいけない一方、口伝的要素もかなりあります。この作品はそうした要素がかなり強いので、私たちの世代がそれをきちんと受け継いでいかなくてはならない、とも痛感しました。
この二人の演奏を録画した非公式のDVDも頂き(残念ながら発売予定はないそうです)、よりよい演奏に向けて、改めて精進したいと思います。
講習会の閉会式のあとには、会場として使われた学校の屋上の別々の箇所にのぼった5人のトランペッターが、《木曜日の別れ》を閉会のファンファーレとして演奏しました。
この作品は5つの部分に分けられたミヒャエルのフォーミュラ(の核セリー)を、長い休止を挟みながら、自由なテンポで繰り返し演奏するものです。
夕空のもと、あちこちから聴こえるロングトーンが不意に重なりあう様子はとても神秘的でした。