「日曜日」からの4つのシーン
今年のシュトックハウゼン講習会のコンポジション・セミナーのテーマはHOCH-ZEITEN(オーケストラ版)とDÜFTE-ZEICHEN、そして演奏会ではではENGEL-PROZESSSIONENと「日曜日の別れ」が演奏されました。この3つの作品は、どれも7つのオペラからなる『光』の最終章である「5つのシーンと「別れ」からなる日曜日」の3つのシーンですから、「日曜日」のかなりの部分を一気に聴いたり学んだりする事ができたことになります。
HOCH-ZEITEN(オーケストラ版)と「日曜日の別れ」の2つの作品は本質的には同じ作品で、それぞれHOCH-ZEITEN(合唱版)をオーケストラ、または5台のシンセサイザーで解釈し直したものです。2つの作品ともHOCH-ZEITEN(合唱版)と音程やリズムの構造は全く同一です。HOCH-ZEITEN(オーケストラ版)ではそれぞれのコーラスのパートがオーケストラの各楽器に置き換えられるだけでなく、コーラスが歌うテキストの子音や母音の違いを装飾音、奏法、演奏する人数の違いとして解釈し直し、オーケストラならではの音色の多様性をうまく生かしています。
そしてオーケストラ版には合唱版にはなかった7つの「回想」がその上に重ねられています。この「回想」とはオーケストラの中から二人の奏者がステージ前方へ歩いて来てデュオを演奏するのですが(1つの「回想」だけ例外的にトリオで演奏されます)、演奏される音楽はすべて「光」の様々なシーンからの引用です。「木曜日」の「MONDEVA」、「土曜日」の「カティンカの歌」、「月曜日」の「7つの曜日の歌」、「火曜日」の「ピエタ」、「金曜日」の「ELUFA」、「水曜日」の「ミヒャエリオン」(ここだけトリオ)、「日曜日」の「LICHTER-WASSER」からの部分がオーケストラの楽器のために音色(と若干の細部)を置き換えて演奏されます。7つのオペラからなる大作『光』の一番最後の場面なのでこうした楽想を挿入したのでしょうけど、引用された部分はどれも『光』のハイライトとも言える美しい部分ばかりで、これをオーケストラの楽器に置き換えたヴァージョンで聴けるのも楽しいものです。
さらに別のホールで同時に演奏されている合唱の音響がステージ上方に設置された5つのスピーカーから(衛星中継されて)再生され、オーケストラの生演奏の音響に重なる「ブレンド・イン」というイベントが7回起きます。ちなみにこのイベントは合唱版でも挿入されますから、7箇所で別ホールのオーケストラの音響と合唱の生演奏がブレンドされることになります。このイベントに2つのホールで同時に演奏することによるアクロバティックな同期の効果が表れるのですが、このブレンド・インをより興味深いものにするためにシュトックハウゼンはちょっとした細工をしました。オーケストラを先に演奏を始めさせ、合唱はオーケストラから18秒遅れて演奏を開始するように決めたのです。このことによって、ブレンドされる合唱の音響はその直前に演奏していたオーケストラの音響の一種のエコーのように聞こえます。逆に合唱版の場合ブレンドされるオーケストラの音響がその直後に演奏される合唱の音響を予言するような感じになります。そして、合唱もオーケストラも5つのグループに分かれ、それぞれが異なるテンポで演奏していますからオーケストラと合唱のタイミングがずらされている事により、10のレイヤーが同時に演奏される、という極度に複雑な音響効果が実現されているのです。
オーケストラ版ではこれらの7つの「回想」と7つの「ブレンド・イン」が基本の5層の楽想の上に重ねられている時間が全体の演奏時間のかなりの割合に達しているので、この作品全体にわたって極度に複雑なテクスチュアが支配されているといえます。そしてその複雑さにも関わらず音響全体が意外にすっきりしているのは、シュトックハウゼンの熟練した作曲技法の洗練と、演奏におけるバランスへの細かい配慮の賜物だと感じました。
ちなみに、この作品のレクチャーでこの作品の録音をいくつものヴァージョンで聴く事が出来ました。オーケストラ版、合唱版、「回想」を含む、あるいは含まないヴァージョン、「回想」のデュオのみ、「ブレンド・イン」を含む、あるいは含まないヴァージョン、5つからなるグループのひとつのグループのみを取り出したもの、など一週間のあいだに本当に何度もこの作品を繰り返し聞きました。繰り返しの聴取というのは、極度に複雑なシュトックハウゼン作品の理解には必須とも言えるもので、これだけ沢山聴いてもこの作品を完全に聞き分ける事は出来ませんでした。CDを買って家でさらに何度も聴き、文字通り何百回と繰り返し聴く事により、ようやくこの作品の真価が理解できるのです。
「日曜日の別れ」は「日曜日」全曲の演奏の際には終演後のロビーで演奏される電子音楽の扱いですが、今回のように独立した作品としてステージで演奏されることも可能です。前述のように、この作品はHOCH-ZEITEN(合唱版)の合唱の5つのグループを5台のシンセサイザーで解釈したものですが(「回想」「ブレンド・イン」などのイベントは挿入されません)、HOCH-ZEITEN(オーケストラ版)はすべてがシュトックハウゼン自身によってスコアに書き記したのに対し、「日曜日の別れ」では5人のシンセサイザー奏者が自分たちで合唱の音響の変化を自由にプログラミングし、それをリハーサルの過程でシュトックハウゼンがダメ出ししながらまとめていく、という方法を取っています。5人のシンセサイザー奏者はシュトックハウゼン講習会のピアノ・クラスの講師の二人ベンヤミン・コブラー、フランク・グートシュミットとシンセサイザー・クラスの講師アントニオ・ペレス・アベリャンにピアノ・クラス、シンセサイザー・クラスの受講生を加えたメンバーで構成されていましたが、当然ながらピアノ・クラスの講師、受講生はシンセサイザーのプログラミングにはそれほど熟練しているわけではないので、この作品の演奏の準備はかなり大変だったようです。当然予想されるようにこの作品も5人のシンセサイザー奏者がそれぞれ異なるテンポで演奏するので、各演奏者がイアフォンからクリックトラックを聞きながら演奏し、リアルタイムでプログラミングをどんどん変えながら弾くのでその演奏は非常に大変だったと思います。
そして聴く側にも非常に大きな要求がある複雑な作品なので、休憩を挟んで2度演奏されました。5人ともよく健闘していましたしそれなりに興味深い音響ではあったのですが、私の耳にもシンセサイザーのプログラミングがまだ十分に洗練されていないのは明らかでした。講習会のあとにも何度かこの作品の演奏が予定されているので、その過程でさらにプログラミングを訂正し、CD録音に向けて最終的なヴァージョンへと「進化」させていくのだと思います。
今年はHOCH-ZEITENに加えてDÜFTE-ZEICHEN(「香り – 印」)もコンポジション・セミナーのテーマとして取り上げられ、講習会の後半はこの作品についてのレクチャーでした。この作品はザルツブルク音楽祭より委嘱を受け、同音楽祭で初演された7人の歌手、ボーイ・ソプラノ、シンセサイザーからなる1時間弱の大作で、はじめに初演のメンバーでマルチ・チャンネル録音された音源をまず通して聴きました。ステレオ・ミックスされた録音の再生とは違って、マルチ・チャンネルによる演奏は非常に臨場感があり、クリアーな音質で聴ける、そして生演奏に必要なリハーサルはもちろん演奏者自身がそこにいる必要もないので(特に多くの演奏者を必要とする場合この問題は切実になります)、生演奏の一種の代替手段としても有効ですし、それ以上の音楽的意味もあります。レクチャーだけでなく演奏会でも一種の電子音楽のような感じでのこうしたマルチ・チャンネルの上演も最近よく行っています。本講習会では「日曜日」からの1つの作品の生演奏と3つの作品のマルチ・チャンネルによる上演による演奏を聴きましたが、実質的には4つの作品の実演を聴いた、という体験にかなり近いとも言えます。
この作品の印象を一言で言うと、とにかく「美しい」という事です。疑似調性的なノスタルジックな美しさではなく、妥協のない音楽探究の果てに掴み取った究極の美しさです。シンセサイザーが静的な和音をひたすら延ばす上に、歌手達が様々な組み合わせ(ソロ、デュオ、トリオ)で非常に美しいメロディーを奏でていきます。シンセサイザー奏者はその歌手達の音楽に対してシンプルなスタイルで注釈を付けていきますが、プログラミングの巧みさもあって、これも非常に効果的で美しいです。この作品ではいわゆる特殊唱法のようなものはほとんど出て来ませんけど(例外的にバス歌手のいびきを思わせる「鼻鳴らし」が奇抜でユーモラスな効果を生み出しています)巧みなメロディーの構成からシュトックハウゼンの円熟した作曲技法の素晴らしさを感じ取る事が出来ます。歌手達には非常に広い声域と極めて複雑なテンポ構造の把握(ほとんど毎小節が3つの異なるテンポの変化を持つ部分もあります)、そしてかなり複雑なジェスチャーの習得と、演奏は決して容易ではありませんが、それが「いかにも複雑」な音響ではなく、一見非常にシンプルな音響に結実しているところがとても興味深いです。
レクチャーでは、『光』のスーパー・フォーミュラからどのようにこの作品の全体の時間的、和声的レイアウトが決定されたかという毎度おなじみの説明に始まりましたが、そのレイアウトから細部を決定していくプロセスの説明はとても興味深かったです。この作品は本質的に歌い手の歌うメロディー(あるいはポリフォニー)とシンセの弾き延ばされる和音だけから構成され、シンセの和音はスーパー・フォーミュラから直接導きだされるので、細部の決定は純粋にメロディー・ラインだけ、ということになります。
この作品はいくつかの部分にさらに細かく分かれ、そこで歌手の組み合わせが変わるのですが、メロディーの作曲法もそれぞれの部分で違うアイデアに基づいています。それぞれの部分に割り当てられたミヒャエルとエーファのフォーミュラの断片を様々な方法で変容させたり組み合わせたり、というのが基本で、その変容の方法も割とシンプルなルールに基づいていますが(半音階で機械的にずらしていくだけ、というのもあります)、そこから非常に多様なメロディーが生まれてくる様子がテキストに印刷されたスケッチのファクシミリに収められています。スケッチの段階でもう最終的なヴァージョンとほとんど同一なのに驚かされますが、音楽的な霊感の素晴らしさと合理的で効率的な作曲法の良さがうまく組み合わさった非常に良い例だと思いました。
この作品の一部を私は練習してレッスンを受けた、ということもあり、もともとスコアについてはある程度知っていたので、理解度も非常に高く身になるレクチャーでした。
ちなみに、この作品の最後の部分で、アルト歌手とボーイ・ソプラノが登場し、6人の歌手の「倍音コーラス」の上でこの世のものとは思えないデュエットを演奏しますが、この部分は20年以上に渡って作曲し完成させた、長大な『光』全曲の中の中で最も美しい部分であるといっても過言ではないと思います。
本講習会の最終日の演奏会では「日曜日」のENGEL-PROZESSIONEN(「天使の行進」)が8チャンネルのテープ再生のスタイルで演奏されました。この作品はア・カペラのコーラスのための40分ほどの作品で、客席の中を複雑に歩き回る7群のコーラス(7つめのグループはソリストによる4重唱です)と客席の周りを取り囲みピアニシモの静的なハーモニーを歌うトゥッティ・コーラスとに別れて演奏しますから、8チャンネルのスピーカーから再生する方式は生演奏の複雑な空間移動を完全に再現はできないものの、グループからグループへと音楽を受け渡していく効果を非常に明確に再現する事は十分可能です。これはCDをステレオで単純に再生することでは決して出来ない芸当です。それぞれのグループは2声部の音楽を演奏しますが、ア・カペラで歌うには非常に細かく複雑な音楽で舌打ちやキス・ノイズなどの特殊唱法も含まれています。そしてそれぞれのグループはスペイン語や中国語など、別の言語で歌うためにさらに音響構成が複雑になっています。しかし、シュトックハウゼンはそうした複雑さ自体を目的とするような安易なことはせずに、基本的にそれぞれのグループを交替で歌わせる事により(部分的に各グループが重なる部分もあります)細かい音響が複雑さのなかに埋もれてしまわないような工夫をしています。
結果としてのトータルな音響は、聴衆の周りを歓びに満ちた軽やかな歌声が動き回るような感じになっています。
数ヶ月前に発売されたこの作品のCDには、作品本体に加えて、前述のピアニシモで演奏されるトゥッティ・コーラスのみを取り出した録音が2枚目のCDに収録されています。このパートだけを独立した作品として演奏はできないのですが、録音を聴けば、なぜこのパートだけわざわざ分離して収録したかが良く分かります。
本来の演奏条件だと、このトゥッティ・コーラスは7つのコーラス・グループが全員休符である短い時間だけ、かすかに顔を出すような格好になりますから、このパートの細部を聴き取る事は難しいです。当然トゥッティ・コーラスはそうした演奏条件を予め想定して基本的に静的な和音を延ばすだけという非常にシンプルな作りになっていますけれども、背景に留めておくだけではあまりにももったいない神秘的で美しい響きに満ち溢れているのです。
ちなみにここで紹介したDÜFTE-ZEICHENとENGEL-PROZESSIONENはCDに加えて、非常に素晴らしいスコアも発売されています。ハードカバーで初演のリハーサル時の非常に美しいカラーの演奏写真が満載、スコア本体もコンピューターをフル活用して非常に美しく浄書された、それ自体が芸術品と言いたくなる非常に美しいスコアです。ほとんど商売で儲けよう、という気がないので、徹底的に細部までこだわった仕上がりにすることができるのですが、近年シュトックハウゼン出版がドイツの楽譜出版に関する賞を何度も取っていることが良く理解できます。
「水曜日の迎え」「ヘリコプター弦楽四重奏曲」
今年は「水曜日」からの2つの作品「水曜日の迎え」「ヘリコプター弦楽四重奏曲」が演奏されました。
「水曜日の迎え」は「水曜日」全曲演奏の際、開演に先立ってロビーなどで流される8チャンネルの電子音楽で「水曜日」の最終場面である「ミヒャエリオン」の背景で使用される電子音楽の素材をもとに作曲されています。薄いシンセの持続音が空間を漂い続け、その上にカティンカやシュトックハウゼンの声がわずかに重なったりする一見地味な曲ですが、アントニオによる絶妙なシンセのプログラミング(「ジー」っという独特な質感が印象的でした)や空間移動の効果の巧みさもあって50分という長大な作品にも関わらず飽きることなく楽しむことが出来ました。
「光」の電子音楽としての側面はあまり語られることがないようですが、テクノ好きな人なら「ハマって」しまうであろうド派手なデジタル・シンセの重厚なサウンドが印象的な「火曜日第2幕」(息子のジーモンが全面的に協力)や、「金曜日」全編で聴かれる陰鬱な電子音の海とカティンカとシュトックハウゼンの声をキテレツにモジュレートした異様なサウンド(この電子音を使用した「ピアノ曲XVI」も名作です)など、もっと注目されても良いと思います。
「火曜日」「金曜日」に引き続いて作曲された「水曜日」においては第4場面の「ミヒャエリオン」と第2場面の「オーケストラ・ファイナリスト」で電子音楽が使用されていて、それぞれの電子音楽の部分のみ抜き出して再構成されたものが「水曜日の迎え」「水曜日の別れ」ですが、前作の重厚な感じに対して軽やかで繊細な電子音の音色が印象的です。この感じは「日曜日」のいくつかの場面でのシンセの音色と共通する部分がありますが、これにはジーモンの後継として現在までシュトックハウゼンと濃密にコラボレートしているシンセ奏者アントニオの影響が大きいと思います。
ちなみにアントニオはここ5年間ほどシュトックハウゼンの楽譜の浄書も手がけていて、コンピューターを駆使してシュトックハウゼンの複雑な楽譜をデジタル化しています。(彼はなぜか日本のマンガにも興味をもっていて先日の来日公演の合間をぬって渋谷の某マンガ店にマジンガーZの漫画本を大量に買い込みご満悦でした。彼に初めて聴いたシュトックハウゼンは何か、尋ねてみると「暦年」という答えが返ってきました。私とほとんど同世代なのですが時代を感じさせますねぇ。)
今回もうひとつ演奏された「水曜日」からの作品「ヘリコプター弦楽四重奏曲」はもちろんヘリコプターを使った実演ではなく、8チャンネルのテープ上演でした。8チャンネルといっても「水曜日の迎え」のような単に8チャンネルのスピーカーを聴衆が取り囲むだけでなく、上方、下方それぞれに4チャンネルのスピーカーを立方体状に配置する「オクトフォニック」なシステムでした。前後左右の4方向から弦楽四重奏の各奏者の音が聞こえ、ヘリコプターの離陸と着陸に合わせて全体の音像が上下する仕組みになっていています。チェロの過度に強調された低域が少し気にはなりましたが、四方からヘリコプターのプロペラが爆音で鳴り響き、弦楽四重奏の響きがそこに複雑に絡まる様は快感でした。
この作品はヘリコプターを使う、という奇想天外な発想ばかりが語られがちですが、本体の弦楽四重奏の演奏する内容にも注意が払われるべきだと思います。ミヒャエル、エーファ、ルツィファーの3つのフォーミュラが4つの楽器で複雑に交錯しながら演奏されるのですが、フォーミュラを聴き取ることが出来れば3つのフォーミュラが空間移動しながら絡み合うように聞こえる訳で(「アイ〜ンス、ツヴァ〜イ」という叫び声もルツィファーのフォーミュラの一部でこちらは空間移動の効果がもっとも知覚しやすいです)、そこにヘリコプターのプロペラ音とブレンドされるように仕込まれたグリッサンドを伴ったトレモロやコル・レーニョの不規則な打撃音が組み合わされ、数少ない音楽素材と「無茶な」演奏設定から多彩な音楽表現を引き出すことに成功しています。
管楽器のための諸作品
例によって今年も多くの管楽器のための作品が演奏されました。
講師による演奏会で演奏されたのは以下のとおりです。
QUITT for alto flute, clarinet, piccolo trumpet
PIETÀ for flugelhorn, soprano and electronic music
ARIES for trumpet and electronic music
Xi Version for flute
BASEETSU for basset-horn
AVE for basset-horn and alto flute
実質的に「家族」であるスージーとカティンカのために書かれたフルートやクラリネット、バセットホルンのための作品の微分音や気息音などの微細な音色の効果や美しさについては何度も触れているので繰り返しませんが、やはり感動したのがこの2人のアンサンブルによるAVEの演奏です。
あまりにも美しい瞬間の多い「月曜日」の中のハイライトともいえるこの場面の演奏の様子は5枚組の「月曜日」全曲CDブックレットのカラー写真から伺うことが出来ますが、その幻想的な世界がまさに目の前のステージに飛び出してきたような印象を受けます。この写真におさめられた「月曜日」全曲の初演は20年近く前ですが、衣装を着てステージに立つと遠目に見る分には2人ともその時点から全く時間が進んでいないかのような印象を受けます。微分音や多彩な特殊奏法を使うだけでなくダンサーのように動き回りながらの演奏が至難な作品なのに、演奏の難しさを全く感じさせず当たり前のように軽々と演奏してしまう様子にはただただ唖然とするしかありません。
この鉄壁アンサンブルの2人にトランペットのマルコ・ブラウを加えたトリオで演奏されたQUITTの世界初演も非常に印象的でした。これは3色の絡み合う曲線などから構成されるシュトックハウゼン自身のドローイングによる大まかな演奏指示をもとに演奏者が作曲者とともに詳細な演奏内容を決定していく作品ですが、作品としては地味な印象でしたが、3人の演奏する微分音が狭い音域で絡み合い移ろってゆく複雑かつ繊細な音響は多くの聴衆の心を捉えていました。早期のCD化が望まれます。
マルコ・ブラウをフィーチャーした作品としてPIETÀとARIESが演奏されましたがどちらの演奏もここ数年の彼の進境が伺える内容でした。ほとんどカリスマ化しているマルクス・シュトックハウゼンの超人的なトランペット演奏にプレッシャーを感じてか、以前は検討しているものの萎縮していた感の強かった彼の演奏も、今回は影の努力の成果があってか非常に自信に満ち溢れたものへと成長していました。一昔前のTVゲームの音楽を思わせるような電子音が複雑に絡み合い、その電子音のテープとクリックなしで同期して音程の跳躍の多いトランペット・パートを演奏しなくてはならないARIESの演奏は非常に力強いものでしたが、マルコの紹介でゲストとして出演したソプラノのバーバラ・ハンニガンとの共演によるPIETÀの演奏は感動的なものでした。
重厚な電子音のドローンの上で繰り広げられるフリューゲル・ホルンとソプラノのデュオはピタリと息が合い、4分音、ペダルトーン、様々な特殊唱法などもごく自然に音楽に溶け込み30分弱の長い演奏時間が至福に感じられるような美しい演奏でした。数年前、同じマルコ・ブラウ(その時はソプラノなしの版)の演奏で聴いた同じ曲では寝そうになってしまったのが嘘のようです。
ちなみにマルコの金管楽器のマスター・クラスから2人の受講生が受講生コンサートに出演し、それぞれARIESとIN FREUNDSCHAFTを演奏しました。ARIESを演奏したアメリカ人のトランペット奏者はかなり緊張していたようで、健闘しているものの演奏はまだまだという感じでしたが、もう一人のドイツ人の受講生によって演奏されたIN FREUNDSCHAFTの演奏は非常に貴重でした。演奏自体はさほど印象に残るものではなかったのですが、様々な楽器のための版の存在するこの曲のホルン版を聴けた、ということが大きかったです。楽器を上下左右に激しく動かしながら(この動きは音楽の構造と厳密に結びついています)演奏するのは楽器によっては非常に大変なのですが(逆にそこが予測しないユーモラスな効果を生むことがあります)、この作品の始めの方にある、楽器に溜まったつばを抜くアクションがケッサクでした。ホルンですのでつばを抜く時は当然楽器をぐるぐる回す訳で、そのアクションが作品の一部に加わって何とも「さむ〜い」ユーモアを醸し出していました。
「コメット」「ヴィブラ・エルーファ」「ピアノ曲VI、XIII、XV」
今回の講習会で打楽器のための2つのソロ作品が演奏されました。
1つ目は「コメット」というタイトルの打楽器ソロとテープのための作品ですが、「金曜日」の「子供の戦争」からの派生作品で「ピアノ曲XVII」と同じテープを使用します。打楽器、あるいはシンセサイザーのパートには大まかなピッチの指定があるだけで演奏者はそれをもとに自由に音色やリズムを選んで自分用の演奏ヴァージョンを作り、それをテープ音楽と同期して演奏します。打楽器ソロのヴァージョンは2000年に世界初演され、その時にも聴きましたが、当然ながら演奏者が異なると作品の印象が全く異なります。しかも、今回は奇しくも打楽器クラスの講師のミヒャエル・パットマンと受講生のスチュアート・ゲルバーの2人の演奏を聴き比べることが出来ましたが、受講生のスチュアート・ゲルバーの演奏の方がはるかに興味深かったという微妙な展開になってしまいました。
ミヒャエル・パットマンはまじめにさらうし演奏も性格なのですが、この種の作品に必要な「作曲家」としてのセンスやユーモアに欠けていて、演奏としては非常に退屈でした。打楽器に様々なエフェクターを繋いで音色を電子的に変調していたのはアイデアとしては悪くないのですが、変調の度合いが強すぎてしばしばテープから流れる電子音との区別がつかなくなっていました。スチュアート・ゲルバーは以前の受講生のコンサートでの「コンタクテ」の驚異的な演奏がいまだに印象に残っていますが、ああいった「前衛」時代の作品だけでなく、「コメット」のような近作も巧みに演奏する能力を持っていて、ユーモアとアイデア、美しさに満ち溢れたすぐれたヴァージョンを聴かせてくれました。
ちなみに2005年の講習会では打楽器の講師はこのスチュアート・ゲルバーに交替し、ミヒャエル・パットマンは1曲ゲスト奏者として演奏するに留まっています。
もう一曲は「ヴィブラ・エルーファ」と題されたヴィブラフォーン・ソロのための作品です。実はヴィブラフォーン・ソロのための作品はシュトックハウゼンにとって初めての作品となります。
「金曜日」の後半でフルートとバセットホルンによって演奏される愛らしい作品「エルーファ」のヴィブラフォーンによる版がこの作品ですが、管楽器と打楽器という音響特性の全く異なる楽器編成の違いを積極的に作曲に応用しています。ペダルを多用して残響音を残すことによって原曲とは全く異なる趣を醸し出していますが、この作品の演奏に関してもミヒャエル・パットマンの「色気」のなさが浮き彫りになりました。
鍵盤楽器のための作品は、伝統的なピアノのための大作「ピアノ曲VI」と「ピアノ曲XIII」がピアノ・クラスの若い2人の講師によって2曲演奏されました。ベンヤミン・コブラーがVI、フランク・グートシュミットがXIIIをそれぞれ演奏しました。どちらも演奏するのに約30分かかる大作ですが、作品のキャラクターは全く異なっています。「ピアノ曲VI」は常時変化するテンポ(テンポ変化は五線の上にグラフ上に記譜されています)と一見取り留めのない楽想の把握が非常に難しく、その割には演奏効果が地味なのでピアニストには敬遠されがちですが、実は静謐の中、音が散らばったり集まったりする様が美しい隠れた名作です。
「ピアノ曲XIII」は『光』の「土曜日」からの派生作品で、ありとあらゆる内部奏法や補助楽器、声も使った曲芸的な演奏技巧の必要とされる作品ですが、この大曲を暗譜して弾いていたので、そうしたパフォーマンス的な様子が違和感なく感じられました。ただ、フランク・グートシュミットの「真面目なピアノ青年」的なヴィジュアルとピアノの鍵盤にお尻をのせてしまうようなアクションは微妙にミスマッチで、それは伝統的なオペラ演奏でよく生じる歌手と役の相性の問題であるといえるでしょう。
さて、この作品での頻出する内部奏法などにはピアノの音色を拡大する目的があるのですけれども、そうした方向性がシンセサイザーを前提とした作曲に発展していくのは自然なことだと思います。
その第一作として作曲されたのがシンセ・ソロとテープのための「ピアノ曲XV」(もはや「ピアノ曲」という訳は不適切ですがうまい訳が思いつかないので便宜上こう訳しておきます)ですが、これは「火曜日」の幕切れの部分に当たります。シンセ奏者はこの作品の演奏のために必須の100種類以上の音色をプログラミングしそれを次々と瞬時に切り替えながら、記譜された音楽だけではなく、作品のあちこちに配置された部分で「即興演奏」も要求されます。
この作品を演奏したシンセ・クラスの講師アントニオはいかにも「シンセ・ヲタク」な風貌をしているので、「シンセ狂」という別タイトルも付けられたこの作品の演奏にはぴったりでした。
ちなみに、ほとんど半世紀前に計画されていた「ピアノ曲」を21曲のセットにするプランはここに来て完結する雲行きになっています。
XVI、XVIIは「金曜日」からの派生作品であることはすでに知られていますが、XVIIIは「水曜日」のフォーミュラをもとにした作品、XIXは「日曜日」のSONNTAGs-ABSCHIEDの別ヴァージョン、XXは現在作曲中の新しい連作「KLANG」の「第1時間目」の(左右の手のテンポが異なる)オルガン・パートのシンセ・ヴァージョンということらしいです(XXIに関しては不明)。結局「ピアノ曲」のシリーズはXIXで完結。ただし、KLANG1時間目『昇天』(シンセ、ソプラノ、テノール)をXX、3時間目『自然の持続時間』(ピアノ独奏)をXXIと(非公式に)みなすことは可能。
「ティアクライス(テノール&シンセ版)」ほか 声楽作品
ここ数年シュトックハウゼンのお気に入りのテノール歌手のフベルト・マイヤーはシュトックハウゼン講習会にもたびたび参加していますが、今回はテノールとシンセサイザーのための「ティアクライス」の新しいヴァージョン、「7つの曜日の歌」、「ローザ・ミスティカ」の3曲を演奏しました。
「ティアクライス」は数あるシュトックハウゼンの作品の中では非常に親しみやすく、演奏の機会も比較的多い作品ですが、演奏者が自由に自分用のヴァージョンを作成する、という演奏指示が逆に仇になって、作品の意図を汲んだ本当に興味深いヴァージョンは皆無に近い状態です。シュトックハウゼン自身によるヴァージョンもいくつか作曲されていますが、今回作成されたテノールとシンセサイザーのためのヴァージョンはそれらの中でも最良の仕上がりであると言えましょう。
「ティアクライス」は黄道上の12の星座に対応して作曲された12の短いメロディーですが、それぞれのメロディーを3〜4回繰り返し、その際に演奏者が自由にメロディーを解釈して演奏するように求められています。難しいのはどの程度メロディーを変えていいのか、変えてはいけないのか、というラインです。作曲者が監修をしていない巷に出回っているほとんど全てのヴァージョンがつまらないのは、何もやらなさすぎか、勝手に変えすぎか(例えば、Wergoからでている某トロンボーン奏者による、作曲者曰く「買ってはいけない」ヴァージョン)のどちらかでバランスを欠いているからなのですが、作曲者自身によるリアリゼーションは当然「丁度良い」ポイントを押さえています。
メロディーのもともとの姿はほとんど変えずに、楽器の組み合わせや音域の変化、トリルなどの装飾音やフェルマータ、グリッサンド等の付加、、rit.やaccel.を使用したテンポの変化、CDの針飛びのように特定の数音を繰り返すことによる奇妙な効果などを巧みに配置し、変化に富んだ世界を構成しています。
ちなみにテノール・パートでは、複雑に構成されたジェスチャーを手で表現しながら歌い、一箇所「オヤジギャグ」よりもセンスの悪いベタなものまねを要求されています。
印象的だったのはアントニオによるシンセサイザーのプログラミングです。「ティアクライス」がもともとオルゴールで演奏されるためのメロディーとして作曲されたのはよく知られていますが、アントニオはそのオルゴールのサンプリングなども使用し、オルゴール風の音色を基調にしたサウンドで演奏していました。「オルゴール風」を基調としつつ様々な電子変調を駆使してどんどん音色を変えていくので、このプログラミングの妙を楽しむだけでもとても面白いです。アントニオもレッスンの時間を利用して、この作品のプログラミングをすべてデモンストレーションしてくれました。
「7つの曜日の歌」は「月曜日」からの派生作品で「月曜日の歌」から「日曜日の歌」までの7つの短い曲で構成されていますが、短いスパンで唱法を変えたり複雑なジェスチャーをやらなくてはならない
「曲芸的」な作品です。テンポも頻繁に変わり、さらにシンセサイザーとも同期して演奏しなくてはいけない難曲ですが、ユーモラスな側面も強い作品なので、演奏の難しさを感じさせてはならない、という難しさもあります。
「ローザ・ミスティカ」は「日曜日」の「Düfte-Zeichen」の中のテノール・ソロの部分を抜き出した8分ほどの作品ですが、タイトルにもなっているローザ・ミスティカというお香を焚きながら「木曜日」のシンボル・マークを国旗掲揚よろしく舞台上方に掲げ、シンセサイザーの静的で神秘的な持続和音にのせて、広い音域を駆使した幅広いメロディーを歌っていく作品です。聴く分には非常に「美しい」作品なのですが多くの小節で1小節の中で3回テンポが変わり、音楽と同期して上に掲げた「木曜日」のマークを複雑なジェスチャーで演じなくてはならない、演奏する立場としては非常に混み入った作品です。音域の極端な広さも声楽的に非常に大変です。
私はこの作品をバリトン用に移調して今回の講習会のために練習を重ねました(この作品はテノールのための作品なので、私のヴァージョンは認められない、というシュトックハウゼンの最終的な判断でお蔵入りということになってしまいました。当初は移調可というお墨付きももらっていたのですが。。)。そして「ティアクライス」「7つの曜日の歌」は私自身、それぞれ受講生のコンサートで歌った作品ですから、フベルト・マイヤーが今回演奏した3曲すべてを熟知しているということになります。3曲ともそうした耳で聞くと演奏がかなり不正確だったのですが、もちろん当の本人にもその自覚があり、本人の弁明によると講習会の直前まで続けられていたLICHT-BILDERの稽古があまりにも大変で、これらの作品を十分に練習する時間が取れなかったとのことです。この時点では同曲の世界初演の3ヶ月前でしたが、来る日も来る日もLICHT-BILDERの稽古で嫌になってしまう、と言っていました。実際それくらいの稽古が必要な難曲でしたし、その稽古の甲斐あった演奏の出来だったので今思えば納得しますが、うまくリハーサルのウェイトのバランスが取れなかったのはやはり残念でした。
フベルト・マイヤーは歌い手には珍しく絶対音感を持っていて、名門シュトゥットガルト放送合唱団のメンバーとしても活動していますのでアンサンブル能力も抜群、極端な高音のパッセージもこなせ且つ甘い音色を持った声、という強力な武器があることからシュトックハウゼンからの評価も高く、「日曜日」のほとんど全ての場面にソリストとして参加しています。
ちなみに今回演奏した「ティアクライス」「7つの曜日の歌」は「木曜日」の最終場面「VISION」とともにスタジオ録音が行われ、シュトックハウゼン全集CDの第77巻に収められていますので是非とも聴いてみてください。