2012年の低音デュオ京都公園に先だって行われたレクチャーのレジュメ
ことば=シニフィアン(音声)+シニフィエ(意味、概念)
シニフィアン
イントネーションの音楽化
・シェーンベルクのSprechstimme
・川島素晴《インヴェンションIII》
・田中吉史《科学論文の形式によるデュオ》
文章の朗読をスペクトル解析し五線譜に書き直す
・Ablinger: Voices and Piano
・Ablinger: A Letter From Schoenberg
声を様々な音響を生み出すシンセサイザーとしてとらえ、言語の意味性を排除した抽象的な音響を追求
・音響詩~Kurt Schwitters: ursonate
シニフィエ=テキストの内容の音楽化
・テキストの内容と音楽の一致(伝統的な声楽曲)
・テキストの内容と音楽の(意図的な)不一致
・言語機能の異化
—-自己言及~鈴木治行:沼地の水
—-言語の特定の要素を本来の文脈から切り離し、再構成する→湯浅譲二:インタビュー
言語をコミュニケーションの道具として使用する場合、声そのものの持つトーン、その時のちょっとした肉体的な動き、表情などが、語られることばそのものとは異なる「裏の」意味を持つ場合ことが多い(例:慇懃無礼)
湯浅譲二:天気予報所見
「この曲は、天気予報という、人間の感情から遠い客観的叙述を、様々な感情の表現を音響的に加えた、 いわばミスマッチの表現から全体的に醸し出される、<音楽的な> 表現を得ようとしたものである 。」(作曲者によるプログラムノート)
語られる(実在の)天気予報の新聞記事が、テキストと全く関連性のない肉体動作や感情と組み合わされる。
肉体動作や、感情表現も、ある種の音楽的要素として、その配置が上図のように構造化されている。