シューベルト『冬の旅』楽曲解説

 1822年、「ウラニア」という小冊子に『ヴィルヘルム・ミュラーによるさすらい人の歌12篇、冬の旅』という連作詩が掲載された。シューベルトは1827年初頭、この12の詩をもとに歌曲集を作曲する。この歌曲集を完成させたシューベルトは、ある友人に「恐ろしい歌曲集を歌うので、聴いてほしい」と話す。シューベルトは、彼の友人たちの前で、その歌曲集を「感動に震える声で」歌った。しかし、友人たちは「これらの歌曲の陰鬱な気分に全く呆然とした」と回想する。その演奏に立ち会った別の友人は、「『菩提樹』だけは気に入った」と苦し紛れの感想を漏らすのが精一杯であった。それほどまでに、この歌曲集は、当時の歌曲の常識を超えた異様な表出力を持っていたのだ。しかし、シューベルトはこの歌曲集の出来栄えに大きな自信を持っていた。

 シューベルトはその後、ミュラーのこの詩集に新しい12の詩が追加され出版されていたことを知り、「続編」としてそれらの詩にも付曲する。1827年10月、全24曲の歌曲集として完成したのが、現在『冬の旅』として知られることになる歌曲集である。

 『冬の旅』を完成させる4年前の1823年、シューベルトは、同じミュラーの詩をもとにした連作歌曲集『美しき水車小屋の娘』を作曲している。この歌曲集は、主人公が恋に落ち、一旦はその恋が成就するものの失恋してしまい、最後には自死してしまうという明確なプロットを持っていた。それに対し『冬の旅』では、主人公が失恋し、住んでいた街を去るという、いわば物語が終わろうとする地点から、そのストーリーが始まる。第1曲のタイトルが「おやすみ」であるということは、その明確な象徴となっている。「おやすみ」という言葉は、通常、物語の最後に語られるものだからだ。

 主人公が街を去らなくてはならない明確な理由や、恋人との間にどんな出来事があったのかは、歌曲集で語られることはない。しかし、第1曲「おやすみ」の冒頭で歌われる、「よそものとしてやってきて、よそものとして去っていく」ということばには、この歌曲集全体の内容がこの上なく的確に凝縮されている。主人公は、それまで住んでいた街を夜逃げ同然のかたちで逃げ去り、様々な場所をあてどもなく彷徨う。しかし、彼に同情を寄せたり、彼の旅路に同行する友はいない。彼はひたすら、世の中から阻害された孤独な心情を切々と歌う。その痛ましさは、全24曲のうち16曲が短調で作曲されることで音楽的に表現されるが、数少ない長調の曲ですら、その明るさは、かりそめのものでしかない。 

 例えば、この歌曲集の中でもっとも知られている第5曲「菩提樹」。その民謡調のメロディーは、歌曲集全編の基調となる陰鬱なムードとは対照的な安らぎに満ち、菩提樹のさざめきを模したピアノの細かな音形も、主人公を夢の世界へといざなう。菩提樹は夢の中で「私のところへおいで。ここには安らぎがあります」と呼びかける。しかし、菩提樹の「さざめき」が突如「突風」へと変容し、主人公を厳しい現実の世界へと引き戻す。

 第10曲「春の夢」でも、「菩提樹」と類似した、しかしさらに鬱屈とした状況が描かれる。冒頭、8分の6拍子の軽やかなリズムに乗って、幸せな夢の情景が歌われる。しかし、朝の鶏の鳴き声を模したけたたましい音楽がこの夢を断ち切り、主人公を現実に引き戻す。しかし彼はふたたび目を閉じる。音楽もゆったりとしたものに変化するが、夢の安らぎの世界に戻ることはもはや叶わず、音楽も絶望的なトーンに変容し、そのまま消え入るように終わる。

 1時間を超えるこの大作を貫く、音楽的な柱となるのは、第1曲全体を埋め尽くす「歩みのリズム」である。規則的な8分音符の連続によるこのリズムは歌曲集の至るところに現れ、主人公である旅人の歩みを象徴するだけではなく、彼の心象風景を映し出す鏡ともなる。第1曲では、歩みのようにも、しんしんと降り続く雪のようにも聞こえたこのリズムが、第7曲「流れの上で」においてはテンポを大きく落とし、リズムそのものすらも凍りついたかのように、その様相を大きく変える。寒さで河が凍りつき、主人公の幸せな思い出も、固い氷の壁に閉じこめられてしまったのだ。

 第12曲目「孤独」では、このリズムの足取りは極限まで重く、引きずるような音調へと変化する。ピアノの低音で断続的に繰り返される空虚5度のひびきは、旅人の絶望すら超えた、虚無的な心境に呼応している。旅人は「明るく楽しげな世の中」を歩いている。しかし、その足取りは重く、誰とも声を交わすこともない。嵐の激しさの中にいるよりも、平穏な社会の中に身を置く方が、彼はむしろ惨めなのだ。

 そもそもこの旅人は、一体どこへ向かっているのであろうか? 第5曲「菩提樹」において、夢の中の菩提樹は、「私のところへおいで」と囁きかけた。これは、幸せな過去への回想であると同時に、彼岸の世界からの呼びかけであることは、その後の展開で徐々に明らかとなる。

 第13曲「白髪の頭」では、霜が頭に白く降りかかり自分が白髪の老人になったのかと喜ぶ。しかし、霜が溶けもとの黒髪に戻り、旅人は自分の若さに絶望する。彼はいつしか、年老いて彼岸の世界へ旅立つことを願っていたのだ。異様に引き延ばされた歌唱声部のメロディー・ラインは、人生の堪え難い長さを象徴しているかのようにも思える。

 第15曲「最後の希望」では、かろうじて枝につながっている一枚の葉に自分の希望を託す。しかし、旅人は、その葉とともに自分の希望も地面に落ちていくことをむしろ望んでいるかのようだ。もしそうなったらば「私の希望の墓の上で泣こう」と歌っているのにもかかわらず、音楽はどこか乾き切っているからだ。ちなみにこの作品の前半では、風が葉をもてあそぶ様を点描的な音楽で表現しているが、前例のない、その異常な音調は、この作品の1世紀後のウェーベルンの音楽すら想起させる前衛性を持っている。

 第20曲「道しるべ」では、歩みのリズムが第1曲と同じテンポ感で現れる。しかし、そこに不可思議な半音階的和声が組み込まれることで、旅の目的地がこの世の中に存在しないことが暗示される。実際、彼はこう歌う。「私は、ある一本の道を進まなくてはならない/誰も帰ってきたことのない道を」

 続く第21曲「宿屋」では、ついに念願の墓地へと辿り着く。その音楽は葬送行進曲風で、テンポ指定は歌曲集全体でもっとも遅い「Sehr langsam きわめて遅く」というものだ。しかしその「宿」は満室、彼は死ぬことすらできず、放浪の旅を続けなくてはならない。

 最後の第24曲「ライアー弾き」で遂に、旅の伴侶を見つける。村の外れでひとりライアーを奏でる貧しい老人だ。ライアーとは、ハーディーガーティーという弦楽器のこと。楽器のハンドルを回すことで持続和音が流れ、別の弦を使ってメロディーを奏でることができる。この楽器は当時、物乞いの奏でる卑しい楽器とされていた。彼も主人公の旅人と同じく、社会から阻害された「よそもの」なのだ。音楽は、ハーディーガーディーのドローンを模した空虚5度にのせ、旅人の朴訥としたメロディーとライアー弾きのメロディーが交替で表れる。この歌曲の終盤、旅人の「奇妙な老人よ、あなたとご一緒したい」という言葉をきっかけに両者の音楽が一体化し、一瞬だけ盛り上がりをみせ、歌曲集は唐突に終わる。

 この老人はいったい誰なのだろうか?

 歌曲集の開かれた結末には、多様な解釈が可能である。筆者にとって、この老人は、旅人本人の遠い未来の姿であるように思えてならない。そして、この歌曲集全体そのものが実は、老人がライアーを奏でながら歌った、自身の過去の物語であったと。

2026年1月執筆