声楽曲を作曲する人のためのメモ

声は有限である

 どんな優れた歌手でも、長時間歌い続けていれば声帯が疲労し、良いパフォーマンスができなくなる。また、演奏会で複数の作品を歌うことも想定すれば、その作品を歌っただけで声が疲弊してしまう作品は再演されることも稀になってしまうであろう。

 したがって、声楽作品が意図した通りに演奏され、なおかつ再演の機会にも恵まれるためには、歌手の負担ができるだけ軽くなるような配慮が重要になる。

声域

 もし、初演する歌手が決まっているのであれば、作曲前にその歌手の声域を把握しておくことは重要である。例えば、一口にソプラノといっても、コロラトゥーラのような最高音域を得意とする歌手から、メゾ・ソプラノに近い重めの声の歌手まで、様々な個性があり、声質によって得意な音域も変わってくるのだ。歌手が最も恐れていることは、自分の声域をはるかに超えた楽譜が突然送られてくることだ。それほど極端な音域を使用しないとしても、歌手に声域をあらかじめ尋ねておけばそのコミュニケーションを通じて、声のことをきちんと配慮してくれている、という安心感を歌い手に与えることもできる。

 もし、その歌手の声を聴いたことがないのであれば、過去の演奏音源などを送ってもらって、事前に声のキャラクターや、音域による音色の違いなどをチェックしておくのも良いだろう。何よりも、その歌手の声を知ることが、作曲の大きなインスピレーションとなり、声のキャラクターとマッチしないチグハグな作品を作ってしまう愚を避けることもできるだろう。

 そして、歌手の申告した声域を鵜呑みにしてしまわないことも、とても重要である。

 歌手はしばしば見栄っ張りである。声域を狭く申告することで、この人は技術がないと思われるのを恐れて、広めに声域を申告する傾向が強いのだ。したがって、声域の上限と下限は、一応演奏できたとしてもあまり音楽的な音色でなかったり、音量のコントロールが効かない、などの可能性があることを想定しておくべきだ。声域を尋ねるときには、多用しても大丈夫、少し難しいけれども頑張れば出せる、ほんの一瞬だけなら出せる、などのより細かい条件をチェックしておけば、どこまでが実質的な声域で、どこからが「見栄」の声域なのかを見抜くことも可能であろう。

 よくあるのが、事前に申告した声域を目一杯使い切って、演奏が極めて困難になってしまうことだ。

 一般的に最高音域は歌唱のための負担が大きく、この音域が頻出すると声も集中力も疲労して演奏を失敗するリスクが大きくなる。そしてその割に(ありがたみがなくなることで)演奏効果も低くなってしまうので、負担ばかりが大きくなってしまうという事になる。これは、歌手のモチヴェーションを大きく下げる。最高音域は、ここぞという特別な場面に取っておいて効果的に使用するのが良いだろう。

 また、最低音域に近づくにつれ、声量が弱くなっていくのが一般的なので、他の楽器等で声をマスクしてしまわないように音量バランスを配慮することも重要である。声が疲れてくると低音域はだんだん鳴りが悪くなってくるので、高音域と同様、使う箇所を限定した方が安全だ。

 やむを得ず極端な音域を使う場合は、その音域が演奏不可能な場合もあらかじめ想定し(普段は大丈夫でも、歌手の突然の体調変化で演奏できなくなる可能性もある)、より簡易なossiaのフレーズを併記しておくのも安全策として有効であろう。

 意外に演奏困難なのが、極端に高くはないが、微妙に高い音域のフレーズが長く続くパターンだ。こうした場合、時々低めの音を混ぜ込んで声帯をリラックスさせる時間を作ってあげることで、負担がかなり減ることが多い。

 器楽作品を中心に書いている作曲家は、声楽パートにおいて音域を幅広く使いすぎる傾向が強い。あまりにも音域を広げすぎると、演奏が難しい割に、それが当たり前のように聞こえるので、演奏者は報われない気分になってしまう。中音域の演奏しやすい音域を中心に使い、極端な音域を限定して使うことで、演奏も容易になり演奏効果も高まるだろう。

休止

 声楽パートには、適宜長い休止を混ぜ込むことも重要である。こまめに喉を休める箇所を作ることによって、疲労による発声の崩れを演奏中に修正することが可能になり、結果として安定した演奏を期待できるであろう。例えば最高音域による演奏至難なパッセージがある場合、その直前に発声を整える多少の休みを作るのは、音楽的にも声楽的にもとても効果的だ。

音程

 声は楽器と違って自分自身で音程を作らなくてはならない。さらに、ちょっとした体調変化でも音程が不安定になりやすい。もちろん、歌手それぞれのソルフェージュ能力の違いも音程の正確さに大きく影響する。したがって、声という楽器は正確な音程を保つのが難しいという前提で作曲、記譜をすることが重要だ。

 演奏中、様々な要因によって声の音程が狂うことを防止するために、器楽パートでさりげなく声楽パートのピッチをなぞるようなフレーズを作ることはとても良い方法である。場合によっては1音を重ねるだけでも、音程を安定化させる効果があるだろう。絶対音感のない歌い手も多いので、そうした歌手のために、出だしのピッチのガイドとなるような器楽パートのフレーズを直前に作ることも有効だ。

 より正確な音程による歌唱を実現するためには、派生音の記譜法も重要だ。結果として同じ音程関係になるのであれば、より単純な音程関係になる記譜法を選択すべきだ。具体的には、増減音程は可能な限り避け、長短、完全音程で書ける記譜法を優先すべきだ。

 例えば、以下の譜例のような場合、特別な意図がない限りは、D – Gesという減4度の記譜ではなくD – Fisという長3度を選択した方が良い。

もちろん減4度音程であっても把握はできるのであるが、長3度音程の方が遥かに直観的に音程をイメージしやすく、他の様々なことに注意を向ける心理的余裕が出てくる。こうした小さな配慮が積み重なることで、楽曲全体で見た時の演奏上のストレス軽減度は極めて大きなものになるはずだ。

微分音

 現代作品において、四分音、六分音などの微分音を使うことは珍しいことではない。声楽においても微分音を使うことは可能であるが、器楽に比べ音程の安定度が低いことを考慮し、正確な音程を実現するための周到な方策が取られるべきである。

 以下の譜例のように、微分音を経過音的、あるいは刺繍音的に使用するのであれば、比較的正確な音程で演奏してもらうことが期待できるだろう。テンポがゆっくりであればなお良い。

 しかし例えば、四分音を24音平均律のように通常のピッチと平等に扱うようなパッセージを書いたとしたら、まともに演奏されることは全く期待できないであろう。

 単に、半音階的な音像から外れたような音程関係が欲しいのであれば、微分音で記譜するのでなく、不確定性を許容するような記譜法を採用した方が演奏者のストレスが小さくなるだろう。

特殊唱法

 初めに述べた「声は有限である」ことを念頭において、喉に負担のかかる唱法を可能な限り避けることは重要である。やむを得ず、そのような音色が必要だとしても、他に類似した音色の出せる「より安全な」唱法がないかを再検討していただきたい。

 意外に喉に負担が大きいのは、息を吸って声を出す唱法だ。口から息を吸うことになるため喉が乾燥しやすく、それが声帯を傷つける原因となりうるからだ。

 簡単そうで難しいのが口笛だ。出せる音域や演奏技術に個人差が大きいため、できるだけ簡易なフレーズにするのが安全だ。また、その音域によってはオクターヴ上下の変更を許容することも

考えておいた方が良いだろう。

記譜法

 古典的な声楽曲では、音符と歌詞のシラブルの関係を明確にするために、別々のシラブルは符鉤(旗)で記譜し、シラブルのまとまりを連桁のまとまりに対応させ、場合によってはシラブルに対応したスラーを併用する記譜法を使用することが多い。

 リズムの複雑な現代作品の場合、このような記譜法はあまりにも煩雑で、リズムの把握を極端に難しくすることがあるので、むしろ連桁を拍節構造に合わせて使用した方が良い。ただしその場合であっても、シラブルを明確化するスラーは使用した方が親切だ。

 外国語の歌詞を使用する場合は、その言語を用いた古典的な作品のハイフネーションを研究することを強く推奨したい。この表記法が著しく不自然な場合、歌詞を言語として捉えることが困難となり、場合によっては、演奏家自身が楽譜に、書き直した歌詞を書き込む手間すらかかってしまう。

 特に判読困難なのは、以下のような場合である。

a. 単一の単語なのに、シラブルの切れ目でハイフンを使用しない。

b. 子音のみなど、本来シラブルになりえない場所にピッチのある音符を割り振っている(これは外国語をカタカナ読みしていることに起因する)。

c. 最後に子音があるシラブルを長く伸ばすときに、最後の子音をハイフンで区切り音価の終わり付近に書く(そのように記譜しなくても、まともな歌手なら必ず最後にその子音を発音する)

 日本語の歌詞の場合、しばしば助詞の「は」は、HAなのかWAなのかが瞬時に判別できない場合がある(例:はなははなははなはさく=花は花は花は咲く)。その場合、助詞の「は」の下にカッコ書きで「(WA)」などと書いておくと親切だ。日本語の表記としては不自然だが、思い切って「わ」と書いてしまっても良いだろう。

 途中で、ナレーションのように長い文章を話す場合、今何拍目なのかを把握することが難しくなるので、ナレーションから通常の歌唱にすぐさま正確なタイミングで戻ることは困難である。次の歌唱まで長めの休みを設定するか、ナレーションの間、他の楽器はフェルマータ、あるいは任意の回数の繰り返しなどにして、ナレーション後のテンポ同期が簡単になるような配慮をすることが望ましい。

 また、しばしばナレーションに割り当てられる拍数が短すぎて、早口で話さないと間に合わないようなことも多くある。舞台上でのナレーションは、文章の内容がきちんと伝わるようゆっくり目に話すことが多いので、余裕をもった時間配分が望ましい。もちろん上記のフェルマータなどの処理は有効である。

まとめ

 以上のような声楽書法における問題点のほとんどは、古典的な声楽曲の書法、記譜法を研究していれば回避できることである。可能であれば、こうした作品の楽譜を研究するだけでなく、実際に声に出して歌ってみることで、歌手の生理をより身近に感じることができるであろう。

 そしてもちろん、自作の声楽曲も自分自身で声を出しながら作曲することを強くお薦めしたい。