モロッコのジャジュカのミュージシャンの演奏をビル・ラズウェルのプロデュースで録音したアルバムです。ジャジュカの音楽を一度でも聴いた方ならお分かりかと思いますが、とにかく地球一ぶっとんだ音楽であることは間違いないです。ブライアン・ジョーンズ、オーネット・コールマン、ウィリアム・バロウズといった曲者アーティストを唸らせたこのモロッコ秘蔵音楽を、ビル・ラズウェルが実に力強く太い音でCDに収め強烈なトリップ感覚を存分に味わうことができます。今日はこのアルバムをiPodで聴きながら街を歩いていたのですが、もうアブナイ、アブナイ。こういう大自然の中で生まれた音楽って、実は都会の風景と重ね合わせると実に絶妙な効果を発揮するんだな、ということを実感しました。
お気づきの方も多いかと思いますが、このページのジャケット画像は基本的にamazonへのリンクになっています。このアルバムの試聴もできますので、是非とも聴いてみてください。
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ジャジューカ関連の強力なアルバムが最近発売された。
国内盤も出ているのだがそのタイトルがかなり笑える。
題して「邪呪歌(ジャジューカ)」
このアルバムのプロデュースはタルヴィン・シンという在英インド2世のタブラ奏者。伝統的なインド音楽の枠に留まらず、様々な先鋭的なアーティストと共演してきているが、ビョークの2枚のアルバム「デビュー」「ポスト」への参加は特筆されるべきであろう。
そして彼と共演しているのが先日紹介したバシール・アッタール率いるマスター・ミュージシャンズ・オブ・ジャジューカである。
タルヴィンはインドの伝統音楽とドラムン・ベースを掛け合わせたような実験的な音楽を追求しているが、そうした彼とテクノ的なトランス感覚を持つジャジューカ音楽が合体するとどうなるか?その答えがこのアルバムである。
タルヴィンとジャジューカの共演したトラックとジャジューカ音楽のトラックが交代していく構成になっていて、それぞれのトラックは切れ目なく続いていくように編集されているが、この地理的にも歴史的にも違う道を歩んできたそれぞれの音楽が何の違和感もなく共存していることは驚きである。
インド、イギリス、モロッコ・・・この3つの音楽を結び付けるものは強力なビートである。インドのタブラも、モロッコのドラムも、ドラムン・ベースのプログラミングされたリズムも、或る1つのビートの上で出会うことによって地理的、歴史的な相違を超えていとも簡単に共鳴しあい異次元への音楽がスピーカーから奏でられるのだ。
ちなみにこのアルバム「邪呪歌」はブライアン・ジョーンズのジャジューカ音楽のアルバムと同じ、フィリップ・グラスのレーベル POINT MUSIC より発売されている。
グナワ音楽はジャジューカと比べて、よりシンプルな楽器編成である。ライタやフルートなどの管楽器は使用されず、その代わりにゲンブリと呼ばれる2〜3弦楽器が中心的な役割を果たしている。多数の管楽器がユニゾンで甲高い音色を奏でるジャジューカとは逆に、グナワではバンドのリーダーの弾く1台のゲンブリの重厚な音色がアンサンブルの要となって、この楽器によるミニマルなフレーズに手拍子や打楽器、声などが加わる構成となっている。
このゲンブリという楽器は機能的にはベースに近いのだが、その楽器の音色は実に不思議な魅力を持っている。どちらかというと倍音の少ない暗い音色で腰の方にズシンと響いてくる感じなのだが、その暗い音色にも関わらず異様に存在感のある響きは、聴くものを異次元の世界へと誘う。また、弦のはじき方によってアタックに打楽器的な効果を付けることができ、名手によって弾かれるとベースラインとリズムが一つの楽器で表現されうる奥の深い楽器でもある。
このゲンブリに加えて、もう一つ欠かせない楽器がある。カルカベと呼ばれる鉄製のカスタネットである。この楽器はゲンブリを担当するリーダー以外の全てのメンバーによって演奏されるがカッカカカッなどと硬質な音色で、ゲンブリが作り出した魔術的な雰囲気をさらに盛り上げ、異様な高揚感をもたらす。
ゲンブリのベースラインとカルカベのリズム、鋭い人ならもうお気付きだと思うが、これはテクノの多くがベースシンセとリズムマシンの組み合わせを基礎としている構造と非常に近い関係にある。どちらの音楽も聴き手の日常的な心理感覚を奪い去りトランス状態へと導いていく特徴があり、テクノサイドから近年モロッコ音楽の再評価が高まっているのもこのあたりが注目されたからであろう。
さて、このグナワ音楽の神髄に触れるには、マレーム・マームウド・ギニア Maleem Mahmoud Guinia のアルバム The Black Mlucks (Blues Interactions) を聴くのが最も近道である。ゲンブリとカルカベによるトリップ・サウンドを1時間以上にわたってたっぷりと堪能することができる。
ちなみにギニアはビル・ラズウェルのプロデュースの下、ファラオ・サンダーズとの共演アルバム THE TRANCE OF SEVEN COLORS (AXIOM) も録音している。これは、ギニアのアンサンブルにファラオ・サンダーズのテナー・サックスが加わってインプロヴィゼーションを繰り広げる内容で、トランス度から見ると The Black Mlucks よりはかなり落ちるが、ファラオのスピリチュアルなプレイが非常に印象的である。ジャズと、その遠いルーツであるアフリカ音楽の再会という観点からも非常に興味深く、ファラオのプレイからも自分の祖先に出会ったような喜びのようなものがひしひしと感じられる。
ちなみにビル・ラズウェルはモロッコ関連のアルバムをこの他にも私が知る限り2枚制作している。
グナワ物では GNAWA MUSIC OF MARAKESH / NIGHT SPIRIT MASTERS (AXIOM) ジャジューカでは THE MASTER MUSICIANS OF JAJOUKA FEATURING BACHIR ATTAR / APOCALYPSE ACROSS THE SKY (AXIOM) といったアルバムをそれぞれ制作している。それぞれの音楽の多様な面を見せようとする意志が強すぎてか、ややこじんまりと、きれいにまとまってしまった印象もなきにしもあらずであるが、ビル・ラズウェルならではの非常にパンチの効いた録音、マスタリングは見事で、モロッコ音楽の持つ圧倒的なパワーが余すところなく収められている。
このように、多くの欧米の先鋭的なアーティストを魅了しているモロッコ音楽であるが、当のモロッコからも伝統的な音楽を演奏するのに留まらない先進的なアーティストも活躍している。
グナワの音楽家ハッサン・ハクムーン Hassan Hakmoun は、特にフリー・ジャズ系のミュージシャンとの共演が多く、今年になって発売された最新のアルバム Gift of Gnawa (Blue Flame) では、彼の演奏するゲンブリとヴォーカルにドン・チェリーのトランペットやフルート、アダム・ルドルフによる非モロッコ系の打楽器などが重なり、さらにディレイなどのエフェクト処理が施されることで無国籍なサウンドを生み出しているが、モロッコ音楽特有のトリップ感覚は異物が加わることによってさらに増大している。
このアルバムの価値を著しく高めているのはドン・チェリーのフリー・ジャズという枠組みからも、さらにフリーである神がかったプレイであり、彼のトランペットやフルートとハッサンのゲンブリの絡まり合いも絶妙である。
暑い夏はビールを飲みながらモロッコ音楽でトリップ、というのは如何だろうか?
モロッコはアフリカの西北、スペインの真下に位置する国であるが、この国の音楽を聴くことによって、音楽に魔術的要素が存在していることを改めて感じずにはいられない。
私がはじめてモロッコ音楽を聴いたのはオーネット・コールマン70年代の名作「DANCING IN YOUR HEAD」においてである。このアルバムに収録されたMidnight Sunriseという曲でオーネットがモロッコに赴きジャジューカという村の音楽家たちと共演しているのだが、オーネットはジャジューカの音楽家たちについて次のように語っている。
これは、人類の音楽だ。これは、生命の状態を伝えているのであって、女に逃げられたとか、戻って来てくれとか、おまえなしに過ごす夜は耐えられないといったようなこととは関係がない。全く違う。はるかに深い音楽なのだ。
<裸のランチ/オリジナル・サウンド・トラック盤(ビクター)の解説より引用>
ジャジューカの音楽の構造は極めてシンプルである。使われている楽器はライタ(ガイタ)というリード楽器、フルート、タイコ系の打楽器、手拍子、声などである。多数のライタやフルートがユニゾンで呪文のように延々と繰り返すフレーズや打楽器の合奏が生み出す反復するリズムなどが音楽の特徴として挙げられるが、このような単純な構造の音楽がどんな複雑に構成された音楽よりも、より深く人間の心理状態に影響を及ぼすことは神秘としか言い様がない。同じことの繰り返しが退屈さを生み出すのではなく、覚醒を生み出す恐るべき効果はスティーヴ・ライヒ、フィリップ・グラスらによって西洋音楽に取り入れられてミニマル・ミュージックと呼ばれるようになり、その原理を応用したテクノ・ミュージックなどの普及によって一般にもその心理的効果が知られることとなった。現在ではそのテクノサイドからその音楽のルーツともいえるモロッコ音楽の再評価という現象も起きている。
モロッコ音楽に魅せられたのはオーネットだけではない。ウィリアム・バロウズやローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズといった奇才アーティストもこの音楽に大きな衝撃を受けているし、そのウィリアム・バロウズの代表作「裸のランチ」がクローネンバーグによって映画化された時、そのサントラにオーネット・コールマンの音楽が採用され、先述したジャジューカのミュージシャンとの共演の録音が一部引用されたり、ブライアン・ジョーンズがモロッコに赴いて録音したジャジューカ音楽のアルバムがフィリップ・グラスの運営するレーベルからCD化されるなど、モロッコ音楽を通じた様々なアーティスト間の結びつきにも非常に興味深いものがある。
さあ、この音楽を聴け。
4000年前から伝わる
ロックン・ロール・バンドの音を・・・
からだ全体で聴け。
体中に染み込ませて、動かされてみろ。
すると君は
地球最古の音楽と1つになれるのだ。
(ウィリアム・バロウズ/ブライアン・ガイシン)
<ブライアン・ジョーンズ・プレゼンツ・
ザ・パイプス・オブ・パン・アット・ジャジューカ
(POINT MUSIC)の解説より引用>
ブライアン・ジョーンズによるモロッコ音楽を収録したアルバム「BRIAN JONES PRESENTS THE PIPES OF PAN AT JAJOUKA」はモロッコの音楽を欧米に紹介した最も初期のものであり、その録音は1968年とかなり古いのであるがこのアルバムの輝きはいまだ衰えることを知らない。それは、このアルバム全体を通してかなりどぎついフランジャーがかけられているので、ジャジューカの音楽を忠実かつ客観的に録音したものでは決してないが、逆に、このエフェクト操作がジャジューカの音楽の本質を鋭く突いているとも言えるからだ。
ジャジューカの音楽は「音楽」として純粋に楽しむものではなく儀式のための一つの道具であり、その音楽は儀式の中で一晩中演奏されその儀式に参加するものは皆、一種のトランス状態に陥ってしまう訳で、アルバムという収録時間の限られたフォーマットでこうした音楽の本質を表現するため、録音されたものにエフェクト処理を施すということは非常に効果的であると思うのだ。
確かにこのアルバムを聴いていると、フランジャーで強烈にねじ曲げられたライタの合奏によって旋回するフレーズは激しく脳髄に突き刺さり、それは脊髄に伝わって体の内側から激しく意識を揺さぶっているのがよく分かる。
この音楽は「聴く」音楽ではない。
「体験する」音楽である。
そもそも音楽とはそういうものではないのだろうか?
現代という時代に生きる私達に、この太古から伝わる圧倒的な音楽はそのことを思い出させてくれる。
音楽は魔法なのだ。
ところでブライアン・ジョーンズがジャジューカを訪れた当時7歳であった少年バシール・アッタールは現在、亡父の後を継いでジャジューカのミュージシャンのリーダーとなっているが、彼を中心として1995年に録音されたアルバム「The Master Musicians of Jajouka Featuring Bachir Attar / JAJOUKA BETWEEN THE MOUNTAINS (WOMAD SELECT)」も一聴に値する。
ここではブライアンのアルバムに見られたような強烈なエフェクトはないが、彼らの音楽の持つトリップ感覚がうまく録音に収められていて臨場感も抜群であり、スピーカーからモロッコの土地の香りが滲み出てくるようだ。
しかしモロッコの音楽はジャジューカだけではない。ギニアから連れて来られた奴隷の遠い子孫であるグナワ族の音楽も実に衝撃的なのであるが、この音楽についてはまた次回紹介しよう。


