昨日は、有楽町で行われているラ・フォル・ジュルネへポゴレリチの演奏を聞きに行きました。どうも最近の彼の演奏は、あちら側の世界に行っているらしい、という噂を聞いていたので覚悟はしていましたが、予想を超えるトンデモ演奏で、近年稀にみる大ショックを受けてしまいました。
演奏した曲目は、ショパンの「ピアノ協奏曲第2番」、コンチェルトでよくここまでやりたい放題やったというくらいの主観的な演奏でした。
単なる奇天烈な解釈として切り捨てられないのは、現在の彼が本心から、この音楽をあのように捉えていることが痛切に伝わってきたからです。
以下、ツイッターに昨晩から今日にかけてつぶやきまくった投稿をそのまま転載します。
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ポゴレリチ聴いた。何というか、見てはいけないものを見てしまった感じ。。
pppppとffだけの音楽。あの世から聴こえてくるのかと思うくらい可聴域すれすれの(しかしとてつもなく美しすぎる)弱音と、突然もだえくるうような低音のff
1分に数回はフェルマータ。音を伸ばしているというよりは時間が止まった感じ。ポゴレリチが美しいと感じた瞬間を凍結させるかのよう。この異様な時間感覚はほとんどシュトックハウゼンかケージ
異常に遅いソロパートからオケのトゥッティに戻ると日常的な世界に引き戻される。さっきのあれは何だったんだ、という感じ。
それにしてもあの第2楽章の耽美と絶望の入り交じったような異様な表現力は何だったのだろう。。
そしてあの15分はかかっていた第2楽章をアンコールでもう一度演奏してしまう神経は何ww
あの有楽町の「祭り」の雰囲気にはもっとも相応しくない奇怪な演奏。ショパンなめるなよ、地獄の音楽だぜ、とでも言いたいのだろうか。
ただの奇天烈な演奏として拒絶する人が多いし、ブーイングが出ているのも分かる極端な演奏だし、逆に肯定的に捉える人もいるのも分かるけれども、立ち上がって歓声を上げる人の気持は理解できない。
あのような奇怪な解釈でも、ポゴレリチにはショパンがあのような異常な音楽として捉えられているのはよく分かったので、あれはあれでありだとは思う。
とにかく、あの鬱々とした音楽のネガティヴなオーラを完全に受けてしまい、どよーんとした気持ちが未だに抜けきれない。
会場のロビーで、同じ曲のアバドとの共演盤を売っていたけど、あの頃の演奏との極端な落差を考えたら、「どうよ」と思ってしまう。
ポゴレリチのさらに恐ろしいのは、あのような自己没入型の演奏をしている割には、妙に客観的な面も持ち合わせていること。
コンチェルトなので、日常の世界へ戻ることができるが、リサイタルだと、そこへ引き戻してくれる人がいない訳で、どのような冥界へ連れていかれるのか。。
今日のポゴレリチのショパンの演奏は、明日自殺する人が人生の最後に奏でる告別の音楽。そんな演奏を続けるポゴレリチは???
「ロマンチックな」ショパン聞きに行ったら、ピアノから貞子が表れたような衝撃を受けた人もいるのでは、、、
今日のポゴレリチ、聴衆にも陰鬱なオーラを浴びせかけるとともに、演奏者本人も自分自身で首を締めるような究極の拷問のような演奏。自己陶酔とは真逆の世界。
自分自身に拷問と苦行を強いながらも、それを冷静に見つめる本人も同時に存在している不思議
そろそろ、寝ようと思うが、ポゴレリチの悪夢を見そうな予感。。。
昨日のポゴレリチのトラウマを払拭するために、目黒寄生虫博物館へ向かう。
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以上
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