現代音楽の最近のブログ記事

6月の無伴奏ライヴで演奏した森田泰之進氏の委嘱新作《うたかたながし》の動画をアップしました。途中から事前に録音、加工した私の声とのヴァーチャル二重奏になりますが、この面白さは動画でこそ倍増します。


他の動画も追ってアップする予定です。
昨年秋に初演された中川俊郎氏のオーケストラ作品《曲率》の動画を、YouTubeで発見したので貼っておきます。

ソロ・パフォーマーのパートは中川氏本人がやっていますが、この面白さは動画を見なければ分からないでしょう。

ちなみに私はこの演奏を聴いていますが、座った席が最前列でしかも中川氏のすぐ近く、このときの会場の東京芸術劇場はステージがあまり高くないので、この抱腹絶倒のパフォーマンスをかぶりつきで堪能してしまいました。



今は、コーラスでこういう仕事をやっていますが、5,6月に以下のようなものに出演しています。詳細は追って再告知します。


墨田ぶらり下町音楽祭
5月23日(日)14:00~ 15:00~ 16:00~ 17:00~
入場料:1日通し券2500円、1箇所1公演のみ1000円

出演:
愛甲雅美(ソプラノ)安藤由香(リコーダー)鈴木奈津子(ピアノ)長久真実子(チェンバロ)
橋本晋哉(テューバ)パティオ・イカウイイ(シンガー) 松平敬 (声、バリトン)
安江佐和子(パーカッション) 山本徹(チェロ) 吉川真澄(ソプラノ)渡辺佳代子(オーボエ)

押上駅の7つの会場で行われる音楽祭です。
私は、橋本晋哉氏とともに「現代音楽ブース」(押上文花町会倉庫)で演奏します。
30分のステージを4回やります。
曲目は未定ですが、低音デュオのレパートリーが演奏されるかと思います。



松平敬:無伴奏ソロ・ライヴ(仮題)
6月24日(木)19:00~ 公園通りクラシックス
入場料:2500円(ご予約)、2800円(当日)

出演:松平敬(声)

曲目(予定):
ジョン・ケージ:Music for One
森田泰之進:うたかたながし(委嘱初演)
クルト・シュヴィッターズ:Ursonate
鶴見幸代:アリア(委嘱初演) ほか

全編、私ひとりのみの演奏でお送りします。
数年前にも似たような企画をやっていますが、その時は部分的に有馬純寿氏に音響をお手伝いしてもらいました。今回は、完全にひとりでやる、というコンセプトです。
MONO=POLIではなく、MONOのみということです。


以下、「MONO=POLI」関連記事の掲載誌などの情報です。
括弧内は記事のライターのお名前です(敬称略)。

レコード芸術4月号(佐野光司、長木誠司)
CDジャーナル4月号(長井進之介)

CDジャーナルはカラー1ページの大きな記事を組んでもらえたのも嬉しいですが、さりげなく表紙にも私の名前が!!

すでにお知らせ済みの、タワーレコードのフリーペーパーintoxicate84号の記事がweb上にも掲載されました。以下のリンクからどうぞ。

昨日お越し下さった皆様、ありがとうございました。
さて、そのリハで橋本氏と、現代音楽の演奏において、どうしても世界初演、日本初演、ということに目が行きがちですが、一度演奏したきりにせず、再演を重ねることによって、その作品を後世に残すことの方が重要ではないか、といったような雑談をしました。

それで、私の場合はどうか、と思い、どれくらい再演を重ねているか、振り返ってみました。

圧倒的に多いのが初演のみ、というものですが、2度目の演奏、というのはそれなりの数あります。
個人的には3度やると、たくさんやったな、という気になるので、3度以上演奏したものの記録をまとめてみました。

演奏回数:3回

ケージ:龍安寺
2003 同志社大学
2007 ケルン・日本文化会館
2007 レンタルスペースSF

シェルシ:WO MA
2005 公園通りクラシックス(3曲目は省略)
2005 秋吉台
2007 ケルン・日本文化会館

シュトックハウゼン:シュピラール
2007 キュルテン
2008 門仲天井ホール
2008 東大

クセナキス:カッサンドラ
2003 豊中市立ローズ文化センター
2004 北とぴあ
2005 大阪市中央公会堂

川島素晴:インヴェンションIII
2004 北とぴあ
2004 新居浜文化センター
2005 公園通りクラシックス

湯浅譲二:R.D.レインからの二篇
2005 秋吉台
2008 東京芸術大学
2009 東京オペラシティ

中川俊郎:ベルジュレット
2004 新居浜文化センター
2005 公園通りクラシックス
2009 公園通りクラシックス

ベリオ:セクエンツァIII
2004 北とぴあ
2004 南予文化会館
2006 公園通りクラシックス

演奏回数:4回

シュトックハウゼン:ティアクライス
2001 キュルテン
2003 同志社
2004 北とぴあ
2008 杉並公会堂

中川俊郎:主の祈り
2007 すみだトリフォニー
2008 桐朋学園大学
2008 東京芸術大学
2009 公園通りクラシックス

演奏回数:5回

ケージ:声のためのソロ2
2006 低音デュオ(with テューバのためのソロ)
2007 公園通りクラシックス(with ソング・ブックス、ピアノのためのソロ、テューバのためのソロ)
2008 門仲天井ホール(4人による同時演奏)
2008 東京芸術大学(with アリア)
2010 CD《MONO=POLI》に収録(4ヴァージョンの多重録音)

演奏回数:10回

湯浅譲二:天気予報所見
2004 北とぴあ
2004 新居浜文化センター
2004 南予文化会館
2005 公園通りクラシックス
2005 秋吉台
2006 東京オペラシティ
2008 トーキョーワンダーサイト本郷
2008 東京芸術大学
2009 公園通りクラシックス
2010 桐朋学園大学

やはり、圧倒的に多いのが《天気予報所見》ですが、ケージの《声のためのソロ2》が多いのは意外でした。同じケージでも《アリア》は定番過ぎるゆえに演奏を避けているので、ランク外です。
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

今年も懲りずに、マイナーなアニヴァーサリーを調べてみました。
シューマン、ショパンといったメジャーどころは敢えて外していますが、マーラーの生誕150年はノーマークだったので、入れています。
個人的なツボには☆印を付しています。

生誕500年
アントニオ・デ・カベソン (1510-1566) ☆
アンドレーア・ガブリエーリ (1510-1586) ☆☆

生誕300年
ジョヴァンニ・バッティスタ・ペルゴレージ(1710-1736) ☆
ドメニコ・アルベルティ(1710-1740) ☆☆☆
ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハ (1710-1784)

生誕200年
ノルベルト・ブルグミュラー(1810-1836) ☆☆☆(あのブルグミュラーの弟)
オットー・ニコライ(1810-1849)

生誕150年
フーゴー・ヴォルフ(1860-1903) 
エドワード・マクダウェル(1860-1908)  
イサーク・アルベニス(1860-1909)
グスタフ・マーラー(1860-1911) 
イグナツィ・パデレフスキ(1860-1941)  
ギュスターヴ・シャルパンティエ(1860-1956)

生誕100年
サミュエル・バーバー(1910-1981)
ウィリアム・シューマン(1910-1992)
ピエール・シェフェール(1910-1995) ☆
平井康三郎(1910-2002) ☆

没後100年
カール・ライネッケ(1824-1910)
ミリイ・バラキレフ(1837-1910)

生誕80年
ロバート・アシュリー(1930-)
諸井誠(1930-) ☆
ディーター・シュネーベル(1930-)

生誕70年
フランク・ザッパ(1940-1993)

生誕60年
ジェイムズ・ディロン(1950-)
久石譲(1950-)

生誕50年
猿谷紀郎(1960-)

没後50年
エルンスト・フォン・ドホナーニ(1877-1960)
アーサー・ベンジャミン(1893-1960)

生誕40年
新垣隆(1970-)
鈴木純明(1970-)

没後30年
入野義朗(1921-1980)

没後20年
アーロン・コープランド(1900-1990)(生誕110年でもあります)

没後10年
中田喜直(1923-2000)
アラン・ホヴァネス(1911-2000) ☆
フランコ・ドナトーニ(1927-2000)
微分音演奏システム.jpg


先日紹介したフォルマント兄弟にインスパイアされて、伝統的なキーボード演奏のみで微分音をリアルタイムで演奏(ただしモノフォニックのみ)するためのシステムをMax/MSPでプログラミングしてみました。

原理は非常に簡単で、和音として演奏した鍵盤の丁度中間のピッチが演奏されるというものです。したがって、短2度音程による和音を弾くと、その中間の4分音が演奏されるということになります。

全く同じ原理で、3音による和音で6分音(半音の3分割)、4音和音で8分音(半音の4分割)が演奏可能です。
金管楽器や弦楽器のように、異なる「運指」で同じピッチを演奏することも可能ですが、演奏のしやすさなども考慮して、4分音、6分音、8分音、10分音の「運指法」を考えてみました(当然ながら、ここから3分音、5分音の運指は容易に導けます。両手の10本の指を総動員すれば、20分音(!)まで演奏可能です)。
当然、4分音から6分音に突然移行、などというのも、和音の構成音を変えることのみで可能ですので、かなり複雑な微分音によるメロディーを比較的簡単に演奏ができます。

以下、この音階のサンプル音源です。
プログラミングがまだ完璧でないので、微妙な音のしゃくりはご容赦ください。

ここまできて、半音階を聴いてみると、半音がとてつもなく広く感じられるでしょう。
本日は、東大駒場キャンパスへフォルマント兄弟(三輪眞弘+左近田展康)の作品のレクチャーも伴った演奏会を聴きに行きました。
(他にシンポジウムなどもありましたが、諸事情により欠席)

はじめに演奏したのは《フレディーの墓/インターナショナル》。クイーンのヴォーカリスト、フレディー・マーキュリーに有名な《インターナショナル》を日本語で歌わせる、というコンセプトですが、この彼の声はサンプリングのような編集によらない、完全な電子音響というところがポイントです。彼の声色を完全に分析し、ピッチや母音の変化をさらに電子的にコントロール可能にしているのですが、例えば「初音ミク」のようなものとは決定的に違っているのが、リアルタイムで演奏可能、ということです。

このテクノロジーによって、カラオケにあわせて、ステージ上のひとりのキーボード奏者(岡野勇仁)が、リアルタイムで、「フレディー・マーキュリーの声で」インターナショナルを「日本語で」歌うという芸当を行う、というのが可能になっています。

「兄弟」は、一瞬でも、フレディー・マーキュリーの声だな、と認識したなら、(実体が存在しないにも関わらず)彼が実際にインターナショナルを日本語で歌った、という事実が存在するのだ、と主張します。

この作品のPVはこちら(↓)から見られます(映像になってしまうと、この効果が半減するのが残念ですが)。


この演奏に引き続いて、兄弟による、この作品に使われたテクノロジーの詳細な解説が続きました。

はじめの問題は、いかにリアルタイムで言葉を話させるか、という点です。
1オクターヴの鍵盤の黒鍵を5つの母音、k,s,t,n,h,m,rといった子音を7つの白鍵に割り当て、黒鍵と白鍵を同時に弾くことによって、ひとつの音素を演奏可能にしています。
濁音やy,wなどの半母音も補助的な鍵盤を同時に弾くことによって発音可能にしていますが、ポイントは、すべての日本語の音素が「片手」で「演奏」できる、ということです。
このことによって、キーボードの低音域(左手)を発音、高音域(右手)をピッチに割り当てることによって、リアルタイムで、任意のピッチで任意の音素を話す、あるいは歌うことが可能になります。
この発音システムの詳細はこちら、このシステムを用いて「インターナショナル」を歌わせるための楽譜はこちらをご覧下さい。

次の問題が、ピッチです。声の微妙なゆらぎや、非西洋音楽にも対応するために微分音程を通常のキーボードでそれほどの困難を感じさせずに演奏するシステムを考えました。純正5度を含む17平均律を使い、例えば隣り合ったCとC#の鍵盤を同時に演奏すると、その中間の音程が演奏可能になるようなプログラミングを施し、さらに微妙な音程を出したければ、同時に弾く鍵盤の音程を変えるとか、3音同時に弾くなどの技を実演もしていました。これはおそらく、演奏された鍵盤のからそれぞれの周波数を割り出し、その平均の周波数が出力される仕組みになっていると予想されます。
声は和音が出せませんから、出せない和音をゆらぎに使う、というのはうまい発想だと思いました。Cの音を伸ばし続けて、Dの鍵盤をトレモロの様に演奏すれば、ヴィブラート風になりますし、同様のテクニックで「こぶし」のようなことも可能になります。

このようにして、こうした発音、微分音の細かいニュアンスを伝統的な鍵盤のみで可能にしたわけですが、これは、そうした効果を完全に記譜しておけば、リアルタイムで、リアルな歌声が実演可能となる、ということを意味します。
(しかも、その楽譜は、多少細かい音価を含むものの、伝統的な五線譜です。楽譜と出てくる音が一致しないのはプリペアド・ピアノと同じですが)

そしてこの技術を駆使したのが、本日披露された新曲《都々逸》です。
三味線奏者(田中悠美子)と歌(岡野勇仁)の二人のための作品ですが、当然この歌のパートはキーボードによって演奏される電子音響で、見事なこぶしを加えて演奏されます。
三味線を弾くお師匠さんが「発音が悪いわね」とか「こぶしが下手ねぇ」などとたしなめる小芝居がなかなか洒落ていました。

最後に、レクチャーの中でも上映した、 "Ordering a Pizza de Brothers!"の動画を紹介します。これは、ピザ屋に電話をかけて、リアルタイムに演奏される電子音響の声がピザを注文する、というものですが、これをパフォーマンスとして、観客の前で上演する、そして、ピザ屋の人は、普通の人間が注文していると、思い込んでいるのがポイントです。


歌い手としては、非常に複雑な心境でしたが、この電子音響による架空の歌手との二重唱も楽しいのではないか、などと妄想もしました。

私がかなりの頻度で演奏をしている湯浅譲二氏の《天気予報所見》は、何の感情も持たない天気予報のテキストが、泣いたり笑ったりしながら読まれることによる違和感の面白さが作品の魅力の一つですが、ここに紹介する動画では、本当の天気予報でアナウンサーがなぜか笑いのツボに入っています。


本日も、中川さんのオーケストラの新曲の本番がありました。
昨日は中川さんの個展でしたが、本日は4人の作曲家による4曲の新曲からなるプログラムで、その内の一曲が中川作品でした。

中川俊郎《曲率》(演奏:小鍛冶邦隆指揮、東京交響楽団)

チケットは指定席だったのですが、よく見てみると最前列ほぼ中央。
オーケストラの演奏会で最前列は、音響的にあまり良い席とは言えませんが、まあ、いいかとそこで聴くことにしました。会場の東京芸術劇場は、舞台の高さも高くないので、弦楽器セクションの演奏の様子が手に取るように見えます。

1曲目の演奏が終わり、2曲目の中川作品の演奏の前に、ステマネがそでから何やら怪しげなものをステージ中央に運んできました。
それは、ソリストとして出演する中川さんの演奏する「物体」たちでした。おもちゃのキーボードのような一応楽器といえるもの、空き缶、はさみなどの非楽器などがごちゃごちゃと譜面台にのせられ、演奏前から怪しさ満点です。

そして、その時気がついたのが、私の座っていた席は、そのソリストの演奏位置の真正面、かぶりつきだったのです。

ソリストは登場しないまま演奏が始まりますが、見事に昨日演奏されたどの作品とも似ていない、しかし中川ワールド全開の脱力サウンドが始まりました。しばらくすると演奏中にもかかわらずオーケストラの奏者がなぜか立ち上がり、「ソリスト入場」です。

譜面台にところせましと載せられた様々な楽器、非楽器を次々と持ち替え奇妙な音響を発する中川さんの姿はユーモラスで、しばしば客席からも失笑がもれましたが、異質な音響をひとつの音楽に結びつけるセンスはやはりさすがです。
(ちなみにソリストのパートはオーケストラの楽譜を主催者に提出したあと、本番日ぎりぎりまで作曲していたらしいのですが、本人しか持っていないその譜面を昨日電車に置き忘れ、今日それを取りにいく時間も作れず、結局新たに楽譜を作り直した、というエピソードも中川さんらしいです)

やはりこの作品でもオーケストラの奏者にちょっとしたパフォーマンスをさせていましたが、弦楽器奏者に弓で譜面台の支柱を軽く叩かせるところなどは、演劇的効果だけでなく、おもしろい音響効果を出していました。

そしてクライマックスは作品後半、ソリストの中川さんが突如オーケストラの方に向き、「本物」の指揮者が指揮を続けているのにもかかわらず、勝手に指揮を始めます。
どちらの指揮をみて演奏しているのかは、謎ですが、中川さんのもっともらしい指揮ぶりはケッサクでした。

そして、昨日の都響と同様、本日の東響のメンバーからも中川さんのキャラは愛されていた様子が窺え、微笑ましかったです。

今年は、かなり他の仕事を控え、オーケストラ作品の作曲に集中していたようですが、それが良い作品、良い演奏に結実し、ご本人も満足されているのではないでしょうか。
昨日はサントリーホールへ「作曲家の個展2009 中川俊郎」へ行ってきました。
毎年、双子座三重奏団でご一緒している中川さんのオーケストラ作品がまとめて演奏される、ということで楽しみにしていましたが、中川ワールドをたっぷりと堪能しました。

中川さんとオーケストラ、というのはイメージとしてほとんど結びつかないな、と思いつつ、プログラム巻末の作品表をながめていたら、そこにのっていたオーケストラ曲は3曲、その内の2曲が昨晩演奏され、さらにそこにない新曲2曲が披露されたので、昨晩だけで中川さんのオーケストラ作品のほとんどを聴いてしまったことになります。

プログラムと演奏者は以下のとおりです。

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西村朗氏とのプレトーク

中川俊郎:
・合奏協奏曲第2番(1987/88)
・合奏協奏曲第3番(2009)[初演]

休憩

・もの思う葦たち(2003)
・影法師--F.シューベルトの同名の歌曲その他による(2008-09)[初演]

指揮:飯森範親 東京都交響楽団

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《合奏協奏曲第2番》は初演のライヴ録音がCDにもなっていますし、その時の聴衆たちからの強烈なブーイングの嵐も伝説となっていますが、私はむしろ楽しんで聴けましたし、しかし同時にその拒否反応したくなる原因も理解できました。

ちなみにプレトークでこの拒否反応についても話題になってましたが、武満徹、松村禎三などの大物作曲家が一様に完全拒絶といった面持ちだったのに対して、中川さんの師の三善晃は、ひょうひょうと、あのおもちゃはもっと前においた方が、よく聴こえたんじゃない?などとアドバイスしていた、というエピソードは今となっては微笑ましいです。

さて、この作品の楽譜は空白だらけなのですが、そこを各演奏者が即興演奏で埋める、という趣向をもっています。そもそも、記譜された楽譜を忠実に演奏するようトレーニングを積んだクラシックのオーケストラ奏者に即興演奏をさせる、という設定自体が無茶なのですが、作品解説に「即興自体も上手である必要はなく、まったく何をして良いか分からない人が、しかたなく何かをやる、というレベルの人がいて、全く構わない。逆に即興の達人が、一人で浮きまくるのもありである。」と書かれているように、即興演奏の技術の稚拙さも許容してしまうところが大きなポイントです。

そして、出てくる音はどのような音かというと、いくつかの目立ったフレーズはあるものの、端的に言えば、オーケストラの各奏者が本番前に各自バラバラに練習しているようなカオス的な音響に終始し、そこに明確な音楽の進行のようなものは存在しません。究極のデタラメに限りなく近いともいえる音響を聞いて、武満徹のような作曲家が強い拒否反応をしめすのはある意味自然かもしれません。

それでも不思議なのが、このカオスのような音響が単なる「うるさい」音になってしまわない、バランス感覚です。そして、このぐしゃぐしゃした音響の独特な肌触りもなぜか気持ちよくなってくるのですが、オーケストラの奏者たちが楽しみながら演奏していることも影響しているかもしれません。

そして、つづく《合奏協奏曲第3番》は、基本的には第2番と同じ音楽です。
違いは、第2番の空白部分に、作曲者が、即興演奏のためのガイド(具体的な音形やアイデアなど)が書き込まれているということです。つまり第2番で即興の部分だったところが、通常の記譜された楽譜に近づいているのですが、空白の即興部分も残されているとのことです(作曲家としては、まわりの様相が変わることによって、この即興部分の演奏内容に影響が及ぼされることも期待しています)。

第2番とこの作品を続けて演奏することによって、両者の違いを楽しめる趣向になっていますが、カオス的な印象は、即興性の低いはずの第3番の方がかえって強まったのが面白かったです。指揮者を含む各奏者が立ち上がったり客席を動き回ったり、突然モーツァルトのセレナーデを演奏し始めたり(しかしまわりの音とのバランスでほとんど聴こえない)、アナーキーさを強調させるような派手な音形が現れたりと、つまりは、無秩序な雰囲気を作曲者が巧妙に演出している、ということなのです。

この種のパフォーマンスは、オーケストラ奏者は嫌がることが多いのですが、若干悪乗り気味の飯森氏の指揮(+パフォーマンス)と、中川さんの憎めない人柄に刺激されてか、好意的に演奏していたのが印象的でした。

休憩をはさんで、《もの思う葦たち》は前半のカオス的な音響とはがらっと様相を変えます。
この作品のポイントは指揮者を含めた全奏者が同じ楽譜を使用する、ということです。しかもそのスコアは、単純な幾何学的な図形による図形楽譜、そこをどのように解釈するか、というのが演奏上の肝となります。
具体的にどのようなプロセスで演奏を作り上げていったのかは分かりませんが、楽譜に書かれた図形がある程度想像できるような演奏で、前半と真逆のすき間だらけの薄い響きを楽しみました。

最後の《影法師》は今回の演奏会でもっとも「まともな」作品、つまりきちんと記譜された作品です。タイトルにもなっているシューベルトの歌曲の、ピアノで演奏されるパッサカリアのテーマを始めとして、B-A-C-Hの音名象徴、モーツァルトの《ジュピター》の第4楽章のテーマなど、様々な(意図的、そして無意識に導き出した)十字架音形の引用を組み合わせて作品を構成する、という趣向ですが、一見伝統的に聴こえるこの作品に、中川さんの作曲家としての本領を見ました。
その組み合わせ方の和声的センス、透明感のあるテクスチュアなど、中川さんの演奏するピアノの音色を思わせる繊細さを強く感じました。

そして、今日はまた中川さんの別のオーケストラ作品の初演、この極端な初演のブッキングの偏りも中川ワールドといえるのではないでしょうか。
(終演後、楽屋に行ったら、今日の作品のスコアを電車に忘れてしまって、熱海まで取りに行かなければならない、との話を伺いました。さすがです)


さらに、11月29日の双子座三重奏団でも、中川作品を大量に演奏しますので、是非ともご来場下さい。
双子座三重奏団第5回.jpg
(クリックで拡大できます)

以下に、この双子座三重奏団のメンバーの情報をお知らせします。

トランペットの曽我部清典氏は本日4日来週11日午後6時より、NHK-FMの音楽に出演します。詳しい曲目は日付のところからリンクされた番組表をご覧頂きたいのですが、私にも関連があるのは来週11日の放送分で、双子座三重奏団の昨年の演奏会のライヴ録音が1曲放送されることです。本日放送分で川島素晴氏の《まつだいら家》が放送されるのも、私と関係なくはありません(演奏は曽我部氏のみですが)。

一方、作曲家にしてピアニストでもある中川俊郎氏は、10月中にオーケストラの初演が2日連続であるという超人的な状態になっています(うち一日は中川作品のみのオーケストラ作品個展)。

作曲家の個展2009-中川俊郎
2009年10月14日(水)19時開演、サントリーホール 大ホール
指揮:飯森範親
管弦楽:東京都交響楽団
リンク:主催者サイト

オーケストラ・プロジェクト2009
2009年10月15日(木)19時開演、東京芸術劇場大ホール 
指揮:小鍛冶邦隆 
管弦楽:東京交響楽団
リンク:主催者サイト

もちろん、双子座三重奏団の本番もよろしくお願いします。

sntk9.jpg以前から謎の存在であったシュニトケの交響曲第9番のCD(左画像)が発売されました。3楽章35分程のこの作品は、最晩年のシュニトケが、度重なる心臓発作の末、右半身不随の状態で左手でスコアが書かれたという壮絶なドラマを持っています。

10年以上前の作品が、なぜこれまでお蔵入りになっていたかというと、そうした状況で作曲されたため、あまりにも自筆譜が判読しがたいものだったからなのです。CDの解説やSikorskiから出版されているスコアにその自筆譜の一部を見ることができますが、震えるような筆跡で埋め尽くされた自筆譜はかなり衝撃的です。スケッチではなくてスコアがこの状態ですべて書かれたことにも執念を感じさせます。ラスカトフというシュニトケとも交流のあった作曲家が、この状態の楽譜を読める形に再構築し、このCDの演奏へと至った訳です。

出版されているスコアはシュニトケが書いた部分、ラスカトフが手を加えた部分の区別が付くようになっていますが、マーラーの第10交響曲のような未完成作品の大規模な補筆でなく、細部の修正にとどまっていることがよく分かります。つまり、第4楽章以降を作曲する意図があったかどうかは不明ですが、遺されている第3楽章までのスコアは完成しているとみなしても良いということです。

修正している内容は、全体に大まかな記譜しかないダイナミクス記号の付加、勘違い、あるいは不注意で記譜されたと思われる音符の訂正、若干のオーケストレーションの訂正、判読不能な箇所の補筆(そこには「判読不能」と注釈がついています)など、それぞれの箇所は音符1〜数個のマイナーチェンジですが、全曲にその種の訂正が大量にあって、しばしば何故そのように訂正したのか、という意図が分からず恣意的に思える部分もあります。

出版社には是非とも自筆譜のファクシミリも出版して頂きたいところです。

ちなみに、このCDに関してはレコード芸術5月号にも短いレビューを書きましたので、ご興味のある方はそちらもお読み下さい。

本日は池袋某所で行われた木下正道、多井智紀両氏のライヴへ行ってきました。
糸を使って終始微音に徹する演奏でしたが(あやとりの絵本を見ながら演奏したりもしていました。。)、強烈だったのはのはこの会場の「場末」感です。

お客が10人来たら超満員のせまくて隠微な空間、壊れた看板の写真が象徴するような、ゆる〜い雰囲気(トイレは雨漏りで床が水浸しでした。。)がかなりツボでした。
1ドリンク付でしたが、出演者自ら冷蔵庫から缶を持ってきてもらったり、上のコンビニにおつまみを買い出しに行ってもらったり、なかなかお目にかかれない展開の連続に驚愕。

もっともチラシの壊れっぷりがすごかったので、ある程度予想はついたのですが。。。

 

先日電車に乗っていたら、養護学校の遠足と思しき一団に出会いました。
小学校低学年くらいの子供が10人以上座席に座っているのですが、知的障害者の子供も多く、その内の二人がかなり頻繁に奇声を発していました。

その内の一人が、「けけけ、こか、しゅぱ・・・」みたいな感じで延々と無意味なことばを発し続けているのですが、その子供に対して突如ものすごいシンパシーが湧いてきました。

これってベリオのセクエンツァみたい、つまり、私がよく歌っている前衛声楽曲に近いことを日常生活の一部としてやっているにすぎないと感じたからです。

このような子供を育てていくのは、色々と苦労があるとは思いますが、色々な物事に対するピュアな感覚を変なものに毒されずに持っているということには、ある種のうらやましさを感じますし、多少大袈裟に言えば「聖なる」存在ともいえるかもしれません。

廣瀬量平氏の名前を知ったのは中学生の頃、いくつかの合唱曲を歌った時です。

数年前ある男声合唱団から、廣瀬氏の合唱曲の代表作でもある「海の詩」の男声合唱版(原曲は混声合唱)の編曲を依頼され、作曲者ご本人より、私のアレンジに対して(間接的にですが)お褒めの言葉を頂き、うれしく思った事を思い出します。
特に混声合唱でポリフォニックに絡み合う部分を男声合唱に圧縮するのは非常に苦労しました。

心よりお悔やみ申し上げます。

さて、話は変わりますが、明日は東大でシュトックハウゼン三昧です。
「シュピラール」についてのワークショップを行った後、コンサートで「ルシファーの夢」「7つの日の歌」「シュピラール」の3曲を演奏しますが、何れも再演ばかりなのに、三曲並べると非常にプレッシャーが高く軽くビビってます。
うまくいきますように。

本日のシンポジウムもご来場ありがとうございました。パネラーであることを忘れ、清水氏の話に「へ〜」となることしばしばでした。

昨日は、明日の本番(WINDS CAFE)で音響を担当して頂く有馬氏と、打ち合わせや簡単なリハーサルをしました。

こちらは、生演奏と同時に演奏する録音音源の音量や音色バランスを客観的に取ってもらう程度のつもりでしたが、様々なこだわりやアイデアを提示してもらったので、きっと素晴らしい音響が期待できるのではないでしょうか。

それが影響してか、起床前に見ていた夢は、Dの付近で鳴り続けるサイン波に自分の声を重ねて、うまく唸るとか唸らないとか試行錯誤している夢でした。
正確には、視覚的印象の全くない夢なので「聴いた夢」というのが正確な表現ですが。

ちなみになぜD音かというと、今回演奏するルシエのサイン波の音源はD音のユニゾンから始まり、最後にD音へ収束して行くからです。

ということで明日の本番ご来場をお待ちしております。

参考記事:曲目の紹介

作曲家のマウリシオ・カーゲル氏が昨日76歳で亡くなったようです。
ソース

カーゲルの作品は、今月28日のWINDS CAFEで「バベルへの塔」を演奏予定でした。
奇しくもこれが追悼演奏となってしまいます。

katarimono.jpg作曲家・鈴木治行氏の新作CDです。鈴木氏の作品は昨年の双子座三重奏団のライヴで《蛇行》という異様な作品を初演させてもらいました。バリトンの歌う歌詞が、作曲のコンセプトを解説する自己言及的な面白さを狙っていましたが、このCDで収められている作品は歌ではなく語りがメインで、そこに2〜4人の器楽アンサンブル(声を含むものもあり)や様々な(リュック・フェラーリの影響を思わせる)録音音源が絡みます。

器楽アンサンブルが、語られる内容を音楽化したようなパッセージを演奏したかと思うと、アンサンブルの演奏する部分の楽曲解説を語りが行ったり、と意味性の図と地が絶えず揺れ動くような不思議なコンセプトが、作品ごとに異なるアイデアのもので展開されます。
演奏の背景のように環境音の録音が再生されていたかと思うと、そのピッチがグリッサンドで上下し、その変化を楽器が模倣し始めるなど、異なった要素の図と地の反転が不意に起こるのもスリリングですし、語られる言葉と音楽の関連・無関連の遊びにも様々な仕掛けが施されています。

徹底的に無表情に語られる語りの声色と隙間だらけのアンサンブル部のテクスチュア、その隙間に「映写」される様々な環境音の全体が醸し出す音の雰囲気はラジオ・ドラマを思わせます。もともとはコンサートなどでの生演奏で演奏されていた作品も、このようにCDにまとめられると、はじめから「録音されたもの」として聴かれる前提で作曲されたように聴こえる効果が興味深いです。
iPodに入れて出先で聴くと、耳元に「変態的」な語りがささやきかけるのがとても気持ちよいです。

現代音楽界も、このような才能がもっと活躍できる雰囲気になると、もっと刺激的なものになるでしょう。

お薦めのアルバムです(ジャケット画像がamazonへのリンクになっています)。

anatatowa.jpgこのタイトルを見ただけで分かる人にはオチが分かってしまうと思いますが、疑似ライヒ効果は簡単にできるので、ちょちょちょいと作ってみました。

スティーヴ・ヲイヒ作曲:あなたとは違うんです

昨日、サントリー・ホールへこの大作全曲(休憩込みで2時間)が演奏されるということで、聴きにいきました。

ヴィオラの演奏する倍音列からとった旋律が、最後に大オーケストラの響きへとゆっくり拡大していく効果は、聴覚的にも視覚的にも生演奏で体験しないと分かりません。

単一の音響に含まれる微細な倍音の構造をオーケストレーションするような音楽なので、楽器間の音量バランス、微分音、金管のミュートの処理など、演奏に際して相当に細やかな配慮が必要ですが、昨夜演奏を担当した東フィルは大健闘だったと思います。なんといっても指揮のピエール=アンドレ・ヴァラドが作品を熟知し、鋭敏な耳で的確にリハーサルを進めていったのが大きいのでしょう。

グリゼー門下の夏田氏の曲目解説も秀逸です。
この種の解説は読んで後悔する内容のものが多いだけに、作品をきちんと把握した上で書かれたこのような文章は貴重です(というか、本来そうでなくてはなりません)。

フランス料理のような微細な音色を持つオーケストレーションの印象を言葉で表すのは難しいですが、液状化した音響が固形物に変化したり、リゲティ風のミクロ・ポリフォニー的な音塊が単一の音響へと収束していったり、音響の空間移動にも一定の配慮があったり、など音色マニアにはたまらない音響実験が満載でした。

気息音風のノイズを多用したラッヘンマンが「子音の音楽」ならば、倍音変化をオーケストレーションしたグリゼーは「母音の音楽」と呼べば良いのでしょうか。ドイツ語とフランス語の言語の特徴が影響しているのか、などと考えたりもしました。

特に後半は大オーケストラを使って、「あ〜う〜い〜」などと言葉を話させているような印象を受けましたが、ホーミーをオーケストレーションするとこんな感じか、などと妄想してみたり。

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プログラム冒頭に、来年シュトックハウゼン《グルッペン》をやる、と書かれていましたが、昨日サントリー・ホールの舞台をみて、ますます疑心暗鬼になりました。
聴衆の左、正面、右に完全に分離された3群のオーケストラを配置するためには一階席のかなりのスペースをつぶして仮ステージを作らなくては、無理ですし、サントリー・ホールの客席の構造を見ると、それもかなり無理があります。
ステージ上に3つのオケを配置する、という作曲者が忌み嫌う最悪な方法を考えているのだと思いますが、そこに目をつむったとしても、ステージ上にぎゅうぎゅうに奏者が詰め込まれる状態になり、良い演奏は期待できないでしょう。

《グルッペン》の音楽の面白さの主眼の一つは音響の空間移動です。
いつもはステレオで聴く《少年の歌》の音響が、4チャンネルで前後左右に移動するのを期待して、コンサートに行ったらステージ上にスピーカーが4つ並んでいたらがっかりすると思います。
《グルッペン》オーケストラの音響が、左右、正面に動き回るのを期待してコンサートに言ったら正面で左右にこそこそ動いているだけで、しかもオーケストラが密集しているのでその効果すら怪しい、ということになりかねません。

同時期のもので同じくらいの演奏の難易度(=リハーサル回数=予算)だと、名作《プンクテ》があるのに、なぜそれを演奏しないのでしょうか?

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