《光の日曜日》の最終場面は《HOCH-ZEITEN 至高=時》と名付けられた極めて特殊な作品となります。ドイツ語が少しでも分かる方ならこのタイトルが「結婚 Hochzeit」を暗示していることもすぐ分かるでしょう。このオペラのテーマは「ミヒャエルとエーファの神秘の結婚」ですが、それにちなみ作品の全編が様々な要素のペアリングに満たされています。
最も特徴的なペアリングは、基本的に同じ楽譜に基づく、オーケストラ版と合唱版という二つのヴァージョンが2つのホールで同時に演奏されるということです。この両者の演奏は無線通信で同期され、作品内の各7箇所で、他ホールの演奏の音声(と中継映像)が生演奏とミックスされます。
本プロジェクトでは、もともと場面ごとに2つのホールを使い分けて上演されていましたが、ここでは、この2つのホールが同時に使用されることになります。
オーケストラ版はBホール、合唱版はAホールで行われましたが、演奏自体は各ホールで2度行われ、半分に分けられた聴衆が休憩中にホールを移動することとなります。
以下の写真は、ホールの割り当てのために前場面の終了後、会場スタッフから渡されたカードです。
私がもらったのは2公演とも金のカード、こちらはA→Bという順序に移動、もう一種類の白いカードにはB→Aの順序で移動する指示があります。
という訳で、私がまず聴いたのは合唱版の方、こちらは円形のAホールで演奏されました。
今回のプロジェクトでは合唱団の生演奏ではなく、初演時の演奏者、WDR合唱団による5チャンネルの録音の再生に合わせてダンサーが踊る、というスタイルが取られました。なぜ、5チャンネルのミックスかというと、全体が5群のコーラスに分けられ、各群が固有のテンポ、言語で歌う、という楽曲構成と関係しています。
この5チャンネルのスピーカーが聴衆を取り囲むように均等な間隔で配置され、その各スピーカーの前に5群のダンサーが踊るアイデアでこの場面は演出されていました。各群が別々の言語(ヒンズー語、中国語、アラビア語、英語、スワヒリ語)で歌うのに対応し、5群のダンサーはその言語に対応した人選、衣装の選択がなされていました。つまり、会場の中央から周りをぐるりと見渡せば、5つの異なる民族が同時に踊っている、ということになります。地球上で多様な民族が同時に生活している縮図の提示が、本演出のコンセプトです。
タイトル通り、各民族はそれぞれの民族衣装による結婚式をイメージさせる衣装で踊ります。なぜか中国チームの花嫁側は西洋式のウェディング・ドレスだったのはご愛嬌でしょうか。
photo: Klaus Lefebvre
ちなみに、同会場で、第1場面、第2場面で置かれていたビーチベッドのような白い椅子は完全に撤去されていて聴衆は立ったまま作品を聴くことになります。しかもステージと客席の境目は全くないので、聴衆は会場内を自由に動き回りながら、5箇所に別れて踊っているダンサーの各グループを見る格好となります。歩行者天国で色々な場所で自由にパフォーマンスしている人を見物するようなイメージといえば良いでしょうか。
ダンサーの配置上、自ずから、5つの各グループを聴衆がぐるりと取り囲むような感じになりますが、そのため同時に異なる民族が踊っている様を見ようとしても、聴衆の背中が邪魔になってほとんど不可能、音楽で喩えると5声のポリフォニーの全体像を聴くことができずに、1〜2声部しか常に同時に聴けない、という状況が私にとってはストレスでした。
この場面でも、今までの場面に出てきたいくつかのアイテム(台車、火など)が再利用されていて、突如ダンサーが客席の間に割ってきたり、なぜかダンサーとお客さんが踊り始めたりと、これまでの場面でも過剰気味に感じられていた演出は、まさにやりたい放題、という感じでした。もちろんそれぞれのアイデアは面白いですし、単なる「見世物」としてはクオリティが高いのですが、「音楽を聴く」という視点にたつと、非常に劣悪な環境であったと言わざるをえません。5チャンネルのスピーカーから流れる合唱の演奏は、長期間のリハーサルを重ねた明晰度の高いものなのですが、5つの異なるテンポが同時進行する極めて複雑な作品を、この情報の洪水のような演出とともに聴くことは全くできませんでした。2度目に聴いた時には出来る限り聴覚に集中し、ダンサーの動きをできるだけ見ないようにして、ようやく音楽に耳を傾けることができました。
この作品の7箇所で、もう一つのホールで演奏しているオーケストラの音声が、中継されて、こちらの演奏にミックスされますが、それと同時にその演奏の映像も映写されます。この映像は、円形の会場の周りの壁に映写されますが、それ以外にも、世界中の様々な街や村の様子を写した映像が大量に映し出されているため、他のホールから中継された、という効果が薄まっていたのが残念でした。
この作品で印象的なのが、作品の終盤に入る頃、突如ステージにトランペッターが現れ、合唱団内の一人のソプラノとデュオを繰り広げるところなのですが、今回の演出ではそのトランペッターが宙を駆ける白馬に乗って現れます。この白馬は、もちろん、《DÜFTE-ZEICHEN》の最後に、子どものミヒャエルを乗せて行った白馬と同じですが、ここでのトランペッター(ミヒャエルを象徴する楽器)は大人になっています。テープ上演ということもあり、このトランペッターが完全に吹いているまねをしているのがありありと分かってしまうのは残念でしたが、このアイデア自体は非常に効果的だと思いました。
スコアには単に「トランペット奏者がステージに現れる」という指示のみですが、この白馬の演出は演出家のアイデアということだそうです。
photo: Klaus Lefebvre
この幻想的な場面も終わり作品が向かい始めると、ダンサーが徐々に聴衆を客席中央に追い込み始めます。そして聴衆のまわりには車輪状の白いオブジェが並べられますが、これはよくみると、前の場面で使われていた客席用の椅子を組み合わせたものでした。
ダンサーが聴衆を取り囲むのとほぼ同じタイミングで別のダンサーもそこに加勢しますが、彼らは《ENGEL-PROZESSIONEN》の最後に登場したロボット風の天使(?)でした。楽曲の結尾で、彼らの両手に取り付けられたプラスチック状の羽根やライトが先についた細い棒を高く掲げ、最後の無音状態で照明の明かりがゆっくりと強くなることによって、このオペラのタイトル「LICHT 光」を暗示し、この場面の上演が終わりました。
なぜ、私がこちらの合唱版を先に聴き、オーケストラ版(こちらは次回アップ予定)を後にする順番で2度とも聴いたかというと(白いカードをもらえば逆順で聴くことで、違った体験ができました)、視覚に偏り過ぎたこの演奏で全曲を終えるのは嫌だと感じた、という事情があります。
私と同じく、日本からこの公演を聴きにきた清水穣氏は、この場面のことを「オリンピック」のようだ、と言っていましたが、実は今回の演出家の関わるLa Fura dels Bausはバルセロナ・オリンピックの開会式で有名になったことが分かりました。下の動画で見られるセンスは今回の演出とも大きな共通点が感じられます。
演奏:
指揮:Rupert Huber
合唱:WDR合唱団(5チャンネルによるテープ上演)
ダンス:ad hoc Ensemble
サウンド・プロジェクション:Kathinka Pasveer
その7につづく

