キース・ジャレットが1994年にブルーノートで行った一連のライヴを全て収めたこのCD6枚組のボックスセットを今でも時々無性に聴きたくなるのです。この手のボックスセットはビル・エヴァンスやマイルス・デイヴィスなどにお約束のものですがその全てが死語にまとめられたもので、しばしば同じ曲の別の日の演奏が何種類も収められたりしていて、それはそれで楽しいものの、アルバムとしての完成度がそこで落ちてしまいます。
しかし、キースのこのライヴは始めからすべてをレコーディングして発売しようという計画を立てていたので、曲目もほとんどダブりなしでメジャーなスタンダード曲からキースのオリジナルまでありとあらゆる曲がこれでもかというくらいに収められていて、そのすべてがハイレベルな演奏という驚異的なライヴの記録ともなっています。
2003年11月アーカイブ
ジョー・ヘンダーソンによるジョビン追悼アルバムです。前半はブラジルのミュージシャン、後半はハービー・ハンコック、クリスチャン・マックブライド、ジャック・ディジョネットというジャズ界のスーパー・スター達によるユニットとの共演、という構図になっています。つまり、前半はジョビンのオリジナルに近いスタイル、後半は洗練されたジャズのスタイルでの演奏ということですが、ジョー・ヘンダーソンによる素晴らしいテナー・サックスの音色がうまく全体の雰囲気を統一しています。
音量を抑え、ヴィブラートを極力排した彼のメロディーの歌わせ方が実にクールで、このアルバムも「秋のボサノヴァ」と言っていいようなメランコリックなムードを醸し出しています。
前半の正統的なブラジル風のスタイルによる演奏ももちろん素晴らしいのですが、後半のジャズのスタイルへ解体された演奏もとても興味深いです。特にハービー・ハンコックの演奏がバッキング、ソロともに絶品で、タメの効いたフレージング、ビル・エヴァンスを思わせる耽美的なハーモニー、圧倒的なテクニックなど、彼の最良な部分が多いに発揮されています。
No More Bluesのピアノ・ソロのイントロなど実に美しいです。
超メジャーな作品ではないですが、個人的に大好きなLigiaが収録されているのも嬉しいです。
ちょっとセクシーなジャケで、ピアノ・トリオ作品となると、ビル・エヴァンスの亜流みたいな軟弱な音楽を想像するかも知れませんが、一曲目からドカスカ、ドカスカとパワフルな演奏が炸裂します。なんといっても、リズム隊はロン・カーターとトニー・ウィリアムズでプロデュースはテオ・マセロです。そして当のジェリ・アレンも、長らくキーボードを排除していたオーネット・コールマンが始めて本格的に起用したピアニストだったり、学生時代にはエリック・ドルフィーについての論文を執筆したり、ウォレス・ルーニーとは公私共にわたるパートナーだったりという経歴から予想できる通り、そうとう個性の強い音楽性を持っています。彼女のアルバムにしてはスタンダード・ナンバーが多いですが、そうした曲も見事に彼女の音楽として生まれ変わってます。Tea For Twoでのトニー・ウィリアムズのイントロからいきなりロック魂炸裂したりいて「どんなお茶やねん」と関西弁で突っ込みを入れたくなったりします。演奏自体が相当パワフルなのですが、それを独特な録音がさらに強調しています。とにかく低音がでかいです。ベースやバスドラの音が非常識なまでに大きなバランスでミックスされているのです。これは以前持っていたアンプではうまく再生できず、低音が歪みまくってました。録音自体もちょっと粗さを感じさせるものなのですが、それがかえってパワフルさを強調させる結果となっています。
ボサ・ノヴァというと暑い夏を乗りきるための納涼音楽としてのイメージが非常に強いですが、このアルバムは「秋のボサノヴァ」とでも名付けたくなるような、クールなトーンがアルバム全体を支配しています。トランペット(or フリューゲルホルン)、アコースティック・ギター、ウッド・ベース、ドラムというキーボードを欠いた編成がすっきりとした響きを生み出しています。ダスコ・ゴイコヴィッチのトランペットの物憂げな音色とChega de saudadeやInsensatezなどのボサ・ノヴァの名曲の美しいメロディーの相性が抜群にいいですし、そこに絶妙なアコギのコードがかぶさることによって、ブラジル風だけれども非常にオリジナルなボサノヴァの世界を作り出すことに成功しています。
ミュート・トランペットの音色を聞くとどうしてもマイルスの亜流のように聞こえがちなのですが、彼の音色はマイルスとは全く違った個性を持っていて、この辺も非常に聞き所になっています。
この場所についてたまたま以下のような記事を見つけました。
個人的にはかなりのインパクトを受けました。
>> 根岸線山手駅の近くに根岸外国人墓地がある。山手の外国人墓地と違い、横浜の人にさえあまり知られていない。 関東大震災の被害にあった外国人などが埋葬されているが、戦後はほとんど放置されたままで、一時はボランティア まかせになっていたことさえあるようだ。そこにじつは、戦後の混乱期に生まれ、死体で遺棄された混血の嬰児が 八百体から九百体も、非公式に埋まっているというのである。「山手外国人墓地に夜毎、遺棄されてたのを、当時の 墓守りさんがこっちへ持ってきて埋めてあげたらしいんです。ほとんどが進駐軍兵士と、当時、パンパンと呼ばれた 日本人娼婦との間にできた子供だったようですね」
ソースURLはこちら
横浜市としてはこうした事実は噂にしか過ぎないとしていますし、実際にどうなのかは分かりませんが、当時の状況を考えると十分にあり得る話だと思います。戦争というのは戦闘による直接的な被害だけでなく、戦後の混乱期にもこのような悲劇を生み出すのだな、と今さらながら認識しました。
イラクも予想通り「力」によっては何も解決していないし、戦争開始の根拠とされた「大量破壊兵器」が見つかったという話も聞いていないし、アメリカ追随の日本政府の姿勢のおかげで日本までテロの標的として警告される、というおまけまで付きました。
第二次世界大戦からもベトナム戦争からも何も学んでない人が一つの国を動かしているという現実がここにある訳ですが、そうしたことを他人事のように考えている国民も沢山いる訳で、そうした無責任さの「民主主義的」な反映が選挙の結果となってあらわれているとも言えます。
私はこうした現実には非力ですがジョン・レノンとオノ・ヨーコのメッセージを引用し伝えることによって平和に1ミリでも近づければと願います。
WAR IS OVER if you want it.
宗教音楽はいろいろとありますが、天国あるいは神の国のヴィジョンをありありと見せてくれるものは数える程しかありません。ベートーヴェンの「荘厳ミサ」はそうした「天国に最も近い」音楽だと思いますが、それ以前の音楽なら(バッハではなく)このモンテヴェルディの「聖母マリアの夕べの祈り」がそうした音楽の筆頭に挙げられるでしょう。特に後半のLauda Jerusalem, 8声のソナタ、 Ave maris stella, Magnificatの天国的に美しい響きは神からの啓示であるといっても過言ではないくらいに素晴らしいです。この作品は数多くの録音がありますが、私のお勧めはRené Jacobsのものです。歌手、合唱、器楽奏者のすべての演奏がすべて極めて高いレヴェルを維持していますし、録音も極めて優秀でこの作品の天国的な響きを見事に収めています。
一般の人にとって、年末といえばベートーヴェンの「第九」ですが、わたしにとって「第九」は年末の風物詩には終わらない深遠な大傑作であり、そう軽々しく演奏するものではないと思っています。
私にとって年末といえばむしろヘンデルの「メサイア」です。私の母校では年末には第九ではなくメサイアを歌う伝統があったこともあり、この長大な曲の隅々までよく慣れ親しんでいるのです。様々な演奏スタイルによるメサイアを演奏したり聞いたりしましたが、ここではミンコフスキの演奏を紹介したいと思います。
かつて(もちろん今もですが)アーノンクールの演奏が過激と言われましたが、ミンコフスキはアーノンクールの過激さをさらに倍増させたような超過激でスリリングな演奏を聴かせます。
ごつごつしてとげとげしくて荒々しい、よくありがちな小奇麗で去勢されたような古楽器演奏のスタイルとは対極をなすエキサイティングな演奏で、その結果は現代的な感覚に満ちた「前衛的」なスタイルであるといっても過言ではないと思います。
テンポの設定一つ取っても有名な「ハレルヤ・コーラス」はまるで「かけっこ」が始まりそうな、過激なまでに速いテンポです。(実は楽譜にはAllegroと書いてあるので、重々しい演奏スタイルが恣意的ともいえますけど)
ミンコフスキはヘンデルのオペラもいくつか録音していますが、どれも非常に刺激的ですのでそちらの方も御一聴をお勧めします。
パゾリーニの遺作であるこの映画はありとあらゆる吐き気を催すようなものの詰め込まれた壮絶な作品です。1. 地獄の門、2. 変態地獄、3. 糞尿地獄、4. 血の地獄、と4つの部分に分けられていますが、これを見ただけでおおよそ内容は想像付くと思います。単に内容の過激さだけで行けばその手のヴィデオの方が上を行くのでしょうけど、この作品の凄まじさはこのような凄まじい内容にも関わらず芸術作品として存在している、という事実です。どんな吐き気を催すような場面であっても映像は甘美なまでに美しく、ほとんどサロン風のピアノの演奏(ショパンの作品も含まれています)のみに終始するサントラ(モリコーネが担当)も素晴らしい効果を上げています。4人の権力者は本当にわがまま放題、自身の変態趣味を満喫していますが、このキャラクターの描き方も巧みです。
戦争などの異常事態になると、このような悪徳行為が蔓延するというのは話によく聞きますが、それを冷酷なまでにリアルな映像として描き出した、世の中をきれい事ではすませないこのパゾリーニの鬼才には恐れ入るばかりです。
大体の「過激な表現」というものを受け入れられる私ですら、目を覆いたくなるようなシーンが多かったのですが、シュトックハウゼンの「芸術とは日常からの逸脱である」という発言などを思い起こすとこの作品が芸術作品として存在しえる理由も分かる気がします。
ケージが様々な小話(有名な「4分33秒」誕生秘話もあります)をしゃべっていくのと同時に(そして無関係に)テュードアが「ピアノとオーケストラのためのコンサート」の(単独でも演奏可能な)ピアノパートとフォンタナ・ミックスのスコアから作成したテープ音楽を90分にわたって演奏するという刺激的なアルバムです。ケージの話すひとつひとつの小話はすべて1分きっかりで話せるように作ってありますが、字数に幅があるので、話の長さによって、ものすごく早口で読んだり、単語と単語の間に長い沈黙を挟むほどゆっくり話したりと、不規則に読むテンポが変化します。ケージの話し声には不思議なヴァイブレーションがあって音として聞いているだけでとても気持ち良くなってきます。こうした特徴はウィリアム・バロウズにも共通します。
テュードアの演奏も非常に素晴らしく、ピアノの音電子音、加工された具体音などの様々な孤立した音が次々と表れては消えていきますが、この緊張感は彼でなければ出すことが出来ません。当然彼の演奏するパートはケージの不確定なスコアからリアリゼーションして作成したものですが、それに重ねてケージが不確定性に関わる様々なストーリーを話していく、というのはとても面白いアイデアです。
しばしばテュードアの演奏する音がケージの話し声をかき消して、話の一部が聴き取れなくなる所もあります。それ自体に意味やストーリーのある文章でも彼にとってはそうしたことがきちんと伝わることはそれほど重要でないのです。
実際後年になってさまざまなテキストを種々のルールに従ってカットアップによる再構成を行ったりEmpty Wordsにおいては単語すら分解されて、意味のない音素がぽつぽつと印刷されているだけのところにまで行き着きます。
Stockhausenの公式HPにCDの新譜がアナウンスされていました。
が、よく見てみるとマルクスの演奏でAries, In Freundschaft。。。
どこかで見たような曲目だな、と思ったら以前EMIから出ていた録音をStockhausen Verlagが買い取ったものだ、ということだそうです。
とりあえず慌てて買う必要はないですが、何か別のものを注文する時についでに購入してみようと思います。
ビートルズの新譜の非CCCDであるUS盤が本日アマゾンより到着しました。リンゴやポールはスタジオで鳴ったままの音だ、と音質の素晴らしさに感動していたようですが、たしかに30年以上前の録音であるとは信じられない臨場感にみちた音質が素晴らしいです。
逆にポールを激怒させた当時のフィル・スペクターのプロデュースも決して悪い仕事ではなかったな、と思います。フィル・スペクターがThe Long and Winding Roadで大袈裟なオーケストラやコーラスを重ねたのはポールの意図と全くかけ離れていたのですが、今回「裸」の形でこの演奏を聴くと、どう聴いてもやはり未完成テイクで音の薄い部分を最新テクノロジーを駆使したミキシングでうまくカバーしているように聞こえるのです。
多くの曲のフェイド・アウトもやや強引に思える所もありますし、Across the UniverseはThe Long and Winding Road以上に未完成な印象が強いです。
それに対して(私でこのアルバムの中で最も大好きな曲の)Two of UsやI've Got a Feelingの充実したサウンドはすばらしいですしLet It Beのバックコーラスのミックスも非常に美しく聴き所も非常に多いです。
決してこれでLet It Beが完成した訳でないし、完成される必要もないのですが一聴の価値のあるアルバムであることは間違いないでしょう。
Universal出版のHPでシュトックハウゼン生誕75年にちなんだセールを行っています(今年いっぱいまで)。いくつかの楽譜のセットを75ユーロで売ります、というものですが、一番の目玉は「カレ」の4分冊のスコアのセットを75ユーロで売っているということでしょう。先日注文していたこのセットが届きました。エアメールの料金を入れても120ユーロを切っていますので、この楽譜の巨大さと分量を考えると決して高くないと思います。
聴衆を取り囲む4つのオーケストラ&コーラスという巨大な編成のため一つのスコアに書ききることができず、それぞれのグループごとにスコアを分け4分冊となっているのですが(他のパートの要約した楽譜がそれぞれのスコアの上部についています)、全パートを俯瞰できるように4冊のスコアを縦に並べるとほとんど私の身長になってしまいしかも各パートは結構小さな音符で書かれているので現段階ではそこから音楽を把握することは不可能です。
なぜか「ジョンの魂」と訳されているこのアルバムですが、確かにジョンの魂の叫びの詰まった彼の1stソロ・アルバムにして最高傑作です。
久々に聞き返してみましたが、やっぱり壮絶なアルバムです。
ジョン自身のギターあるいはピアノにクラウス・ヴーアマンのベース、リンゴのドラムという最低限の編成で基本的にオーバーダブもなし、という切り詰めた音の中から立ち現れるジョンの歌声というよりは叫びには鬼気迫るものがありますし、「イマジン」以降のアルバムに加えられる本人曰く「砂糖」的な要素は皆無なので、このアルバムに対峙するためにはそれなりの精神集中が必要となります。
この厳しいアルバムのなかでもっとも甘い(それでも苦いですが)曲はLoveだと思いますが、Love is realという歌詞がいきなりグサッときます。聖書の愛についての言葉をジョンなりに書き直したものともいえますが、聖書とは発想がこのひとことから全く違いますし、彼のヨーコとの馴初めを考えるとたしかにそうだな、と思えます。
ちなみに画像からリンクしているアルバムは数年前に新たにリミックス、リマスターされたものです。多くのファン同様私もこの新しいミックスに違和感を感じたのですが、時をおいて聞き直してみると、オリジナルのサウンドのイメージも尊重しつつ、当時の技術的制約でジョンの頭の中のアイデアが実現できていなかったであろうサウンドは最新技術で実現させよう、というコンセプトで、受け入れられるようになってきました。
この分厚い装丁の本には「写真でたどるジョン・レノンの生涯」と書いてあって、実際ジョン・レノンの生涯をつづった文章に沢山の写真が乗っていますが、この本の最大の魅力は本の至る所に封入された沢山の「おまけ」グッズです。
自筆による歌詞カードやイラストやポストカードの類、ヌートピアの「国旗」である白いハンカチ、果てには子供の頃の通知表までが実物の色合い、紙の折れやちぎれなどまで忠実に再現して手に取ることができるようになっています。
ジョンのファンにとっては一種の玉手箱のような本だといっていいでしょう。
そして、改めてジョンの生涯を読んでみましたが、実に壮絶な人生であることを再確認しました。
「イマジン」などを夢想家の甘ったるいメッセージのようにしか捉えていない人も少なくないですが、ジョンの波乱に満ちた人生経験を考えると、実は非常にリアルなメッセージであることが分かります。
まずイメージをするということをしなければ、どんな簡単なことも実現できないし、逆に強くイメージすることによって一見不可能に思われることも可能になる、という単純にして深遠な世の中の真実を自分自身の壮絶な体験(そしてオノ・ヨーコとの出会い)から掴み取ったということを知ればこの一見甘ったるい曲が実はものすごくリアルな曲だということを認識せざるを得ないのです。
ヨーコがこの曲を歌った録音がありますが、彼女が歌うとこの曲のそうしたリアルでとんがった側面が強調されてとても興味深いです。
ポルトガル人歌手ドゥルス・ポンテスが歌うモリコーネ作品集です。オーケストラはもちろんモリコーネのアレンジ&指揮によるものです。Cinema ParadisoやMetti una sera a cenaなどのモリコーネの代表的な作品も沢山収められています。
いつも通りモリコーネ特有の夢見るようなストリング・セクションは耽美的ですし、管楽器やピアノ、チェンバロなどの楽器の色彩的な使い方は肉感的とでも言いたくなるほどですが、こうした素晴らしいアレンジとドゥルス・ポンテスの歌声の相性は抜群です。
彼女の歌声は、こぶしまわしなど始めの内はちょっとやりすぎかな、などとも思うのですが、聴き進めて行く内に力強く表現力溢れる歌声に次第に圧倒されてきます。
モリコーネはヴェルディやプッチーニを生んだ歌の国イタリアの作曲家なんだな、ということを再確認させられますが、この大きくうねるメロディーを聴いているとガーシュインやコール・ポーターなどがミュージカルのために作曲した歌がスタンダードになっていったように、モリコーネが様々な映画のために書いた曲が新しいスタンダードとして定着していきつつあるな、ということを実感させられます。
お買い求めはこちらからどうぞ。
ガーディナーがモンテヴェルディ合唱団、イングリッシュ・バロック・ソロイスツと共に数年間掛けて録音したハイドンの後期の6曲のミサ曲の録音が3枚組のアルバムとしてまとめて発売されました(バラ売りもあり)。古典派のミサ曲というと、モーツァルトのいくつかのものやベートーヴェンの「荘厳ミサ」が有名ですし、ハイドンの大規模な合唱曲というと「天地創造」や「四季」がよく知られていて、ハイドンのミサ曲はこうしたものに比べるとどうしても地味な感じに捉えられがちですが、ここに収められた後期のミサ曲は、いずれも緻密なコーラスの書法や円熟したオーケストラの扱いなど聞き応えのある箇所が沢山あります。
ガーディナーの演奏はいつも通り非常に透明感溢れるクリアーな響きに満ちていますし、モンテヴェルディ合唱団の驚異的なアンサンブルもいつも通り素晴らしいです。
個人的にはソプラノ・ソロが大活躍の「ネルソン・ミサ」が大好きです。
マトリックスと言えば電話ですが、電話ジャケといえばオーネットのこのアルバムです。prime timeバンドで作ったアルバムの中で間違いなくトップクラスに位置する出来栄えだと思います。オーネットのアルト・サックスをメインにキーボード、ツイン・ギター、ツイン・ベース(アコべ+エレベ)、ツイン・ドラム(ドラム+タブラ)というほとんどの楽器を二重に組み合わせながらも、微妙に均衡を崩した楽器編成とハーモロディックのコンセプトが見事に組み合わさり、素晴らしい仕上がりになっています。
ハーモロディックと難しい名前で呼んでも、要するに全ての調性、ハーモニー、テンポ、リズムなどを何の制限もなく各プレイヤーが自由に組み合わせ、それでいて全体でうまくバランスを保つ、という音楽のマンダラを生み出そうとするゆるーいコンセプトなのですが、難解な音楽になることなく、ジャケットの印象通り非常にポップで突き抜けた印象が強烈です。
ちなみにこのアルバムでタブラを叩いているバダル・ロイはマイルスの70年代の名作「オン・ザ・コーナー」にも参加しています。
本日マトリックスの完結編を見てきました。
前作の「リローデッド」はカーチェイスのシーンなど見物が多い一方、特に前半でのやや間延びしたような展開がちょっと気になったのですが、この完結編「レボリューションズ」では、いきなりクライマックスであと、ずっとクライマックスがずっと続く、とでも言いたくなる、濃密でスリリングな展開にとにかく圧倒されました。
リローデッドでたった3秒くらいしか登場していなかった(私もなんどもDVDを見返すまでその人の存在すら気付きませんでした)人物が、レボリューションズで重要な役割を果たすなど、リローデッドで敷かれていた山のような伏線がここで解決しています。
林檎姫のトレードマークともいえるホクロを取ったそうです。
あのホクロは「傷」でも何でもなく、むしろチャームポイントですらあった訳ですが、それを敢えて取ることによって自分の中での節目を付けたかった、ということらしいです。
ソースはこちらです。
ちなみに今月末発売予定の新しいシングル「りんごのうた」はもちろんCCCDの予定ですが、他の人なら、CCCDは買わない、と即効却下で済ませられるのが、大ファンなだけに買おうかどうしようか悩んで憂鬱になってしまいます。
アンナ・カリーナ主演、ゲンスブール音楽(脇役でちょこっと出演もしてます)によるこのミュージカル映画のDVD、今、店頭で手に入りにくいようなのですが、某所のツタヤで中古を発見しました。シュールでポップで色彩豊かな映像、カメラワーク、ファッションがとても印象的ですが、そこに重ね合わされるゲンスブールの音楽がとても素晴らしいです。ある時はグルーヴィーなロックンロール、またある時はキュートなフレンチ・ポップだったりしますが、次々と歌われるこれらのナンバーのどれもがとても切なく美しく、詞もとても素敵だったりします。
実はこの続けざまに表れる音楽をこの映画から取ってしまうと、15分くらいで完結できそうな非常にシンプルな(でも、とても粋な)ストーリーが残るだけなのですが、それが音楽とそこに組み合わされる映像の素晴らしさを浮かび上がらせる結果となってます。
それにしても、たまたま一枚の写真に写っていた女性に、名前も何も分からず一目惚れをして、ばかでかい広告を町中に貼るなどして必死に探すも、全然見つからない、でもその女性は自分が勤めている会社の新入社員で、いつもは大きな黒縁の眼鏡をかけているから気が付かない、という典型的な「灯台下暗し」の状況、彼女は彼女で彼が誰を探しているか知っているにも関わらず、それを黙っている、という「ありえね〜」な設定がそれ以上展開することなく(ラストだけちょこっと動きますが)ひたすら、お互いの心情を歌でつづっていくだけ、という構成素晴らしすぎです。
ただし、チャプターもなにもなしで単に映像を収めただけのこのパッケージの方法何とか改善して欲しい所です。




