一柳慧『ベルリン連詩』

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今週は、一柳慧さんのオーケストラの大作、交響曲《ベルリン連詩》でソリストを務めます。
ずっとテノールのために書かれていたと思っていた(初演もテノール歌手が歌っています)このパート、声域が極限まで広く、練習に苦労しましたが、その成果を遂にお披露目する時がやってきました。

私は出演しませんが、一柳氏本人がソリストを務める新作のピアノ協奏曲も、図形楽譜を用い、内部奏法を多用したソロ・パートということで、こちらも興味津々です。

一柳慧の音楽
2016年5月25日[水]19:00 東京オペラシティ・コンサートホール

指揮:秋山和慶
東京都交響楽団

ピアノ:一柳 慧 *
ソプラノ:天羽明惠 **
バリトン:松平 敬 **
一柳 慧:ビトゥイーン・スペース・アンド・タイム(2001)
一柳 慧:ピアノ協奏曲第6番《禅 ─ ZEN》(2016)*[世界初演]
一柳 慧:交響曲《ベルリン連詩》(1988)**

リンク:主催者サイト

ここで、楽譜の一部が(低い解像度ですが)見られます。画像下部に、尋常でない跳躍を繰り返すバリトン・パートもあります。

[動画] 武満、ストラヴィンスキー、ヴァレーズ

昨年末のリサイタルより、さらに動画をアップしました。

武満徹『三月のうた』

私が編曲した二重唱版による演奏です。

ストラヴィンスキー『巨大な黒き眠りが』
ヴァレーズ『巨大な黒き眠りが』

ヴェルレーヌの同一の詩に付曲した歌曲の聞き比べです。両者とも、それぞれの作風を確立する前の作品という共通点に着目して比較してみても興味深いでしょう。

[動画] 山根明季子『水玉コレクションNo.02』


昨年末のリサイタルより動画をアップしました。

山根明季子さんの『水玉コレクションNO.02』です。
共演は中川俊郎さん、ピアノとトイピアノの音色を絶妙にミックスしています。

歌詞は全編パ行のみですべてファルセットで歌う指示がありますが、皆さんにはどのような音の水玉模様が見えるでしょうか?

シュトックハウゼン:シュピラール

5年前の演奏です。
この作品は短波ラジオで受信した内容を、+-などの特殊なスコアに従って演奏者が変容していく作品です。

携帯電話やWiFiの電波が飛び交う現代に微弱な短波ラジオを受信するのは極めて困難なので、共演の有馬純寿さんに短波ラジオをシミュレートするMaxパッチを作成してもらいました。事前に録音しておいた大量の短波放送をランダムに再生し、こちらが「周波数」を操作すると本物のラジオのようにリング変調がかかりだんだんノイズに変化していく絶妙な仕掛けが施されています。

西村朗『猫町』再演

詩と音楽表詩と音楽ウラ

昨年12月に初演した猫町を前橋にて再演します。
今回の共演者は渋川ナタリさん(ピアノ)と、群馬おきりこみ合唱団の皆さんです。初演とまた違った作品像をお見せできるかと思います。
お近くにお住いの方はぜひご来場ください。

第44回朔太郎忌「詩から音楽へ」

2016年5月14日(土)14時開演
ベイシア文化ホール小ホール

西村朗:『猫町』、『青猫』の五つの詩
西田直嗣:連歌『蛇苺』、混声合唱組曲『返信物語』

シンポジウム『詩から音楽へ』
パネリスト:西村朗、西田直嗣、三浦雅士

日本食研のCMで歌っています

作曲者はいません。スタジオで映像を見ながら、なんちゃってオペラ・アリア風に即興で歌いました。

低音デュオ公演終演

昨日の低音デュオ公演、お陰様で無事に終了しました。
好評だった川上統、徳永崇両氏の新作や、低音デュオ版の初演となった杉山洋一作品は、これからの大切なレパートリーとして育っていくと思います。

さて、演奏会の曲目について幾つかの補足情報を。

アンコールは以下の2曲でした。

ベラ・バルトーク:カノン
Béla Bartók: Kánon

フリードリヒ・K・ヴァネック:空飛ぶカエル(詞:ヴィルヘルム・ブンシュ)
Friedrich K. Wanek: Der fliegende Frosch (Wilhelm Bunsch)

バルトークの作品は『児童と女声のための合唱曲集』からの作品です。この曲集からの何曲かは、すでに低音デュオのレパートリーとなっています。

ヴァネックの奇妙な作品に関して、ユーモラスな歌詞を紹介しておきます。


空飛ぶカエル

どうにかして木の上によじ登った時
鳥になったような気がしたが、
それは間違いだと分かった


イラスト付きのドイツ語の原詩はこちらをご覧ください。

本編で演奏したヒンデミットの『8つのカノン』は、『音楽愛好家のための器楽、声楽曲集』という作品に含まれる作品ですが、歌詞の著作権が残存している第7曲を除くすべての楽譜をこちらからダウンロードすることができます。

楽譜をご覧になるとすぐ分かるように、カノンになっている2声と、4声部による伴奏声部のために作曲されています。楽器編成は自由で、伴奏声部を省略して2声だけで演奏することも可能です。

低音デュオの次回公演は6月24日、ROGOBAにて予定されています。

低音デュオ第8回演奏会

低音デュオの定期公演は、早くも8回目となりました。
特殊奏法による新鮮な音色感覚が印象的な川上統『児童鯨』、超絶的なアンサンブルが求められる徳永崇『感情ポリフォニー』といった2曲の委嘱新作はもちろん、テレマン、ヒンデミットの珍しいカノンなど、今回もこだわりのプログラムを用意しております。

ハガキ縦

プログラム:
川上統:児童鯨(2016、委嘱初演)
徳永崇:感情ポリフォニー(2016、委嘱初演)
鈴木治行:沼地の水(2009)
杉山洋一:バンショワ“かなしみにくれる女のように”による「断片、変奏と再構築」(2014、低音デュオ版初演)
ヤコポ・ダ・ボローニャ :彼女の恋人が (c.1350)
パウル・ヒンデミット:『8つのカノン作品45-2』(1928)より
トーマス・モーリー:『二声のためのカンツォネット第1巻』(1595)より
ゲオルク・フィリップ・テレマン:『詩篇による12のカノン』(1735)より
ジル・バンショワ:かなしみにくれる女のように (15c)

出演:松平敬(声、バリトン)、橋本晋哉(チューバ、セルパン)

2016年3月22日(火)19:00開演(18:30開場)
杉並公会堂小ホール

入場料:前売り:一般2500円、学生1000円、当日:3000円(一般・学生共)
ご予約はteion2@me.comまで。

あけましておめでとうございます

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今年は、サティ生誕150年ということで。。

New Year 2016 with Satieあけましておめでとうございます。今年はサティが生誕150年ということで、『ヴェクサシオン』に歌詞をつけて新年のご挨拶を歌いました(といってもヴォコーダーですが。。)。ということで、今年もよろしくお願いします。

Posted by 松平 敬 on 2015年12月31日

 

ちなみに、サティの『ヴェクサシオン』をト長調で演奏してみた記事はこちらです。

シュトックハウゼン・レクチャーの概要と補足

本日のBuncademyでのシュトックハウゼンに関するレクチャー、満席となりました。ご来場いただいた皆様、ありがとうございます。

この種のもので陥りがちなのですが、時間が余ることを恐れて、今回も内容を詰め込みすぎ、かなりの早口であわただしいレクチャーになってしまいました。備忘録の意味も兼ねて簡単に内容をまとめておきます。(一部、レクチャーで触れ切れていないところも補足してあります)

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シュトックハウゼン出版(1975-)は、理想的な形での楽譜の出版、音源の発表の場所として機能している。特に音源は楽譜に書き切れない情報が音声として直接記録されていて、正しい演奏解釈のためには、場合によってはスコアよりも重要視されうるものである(音そのものによる直接的なコミュニケーションの重視)。
シュトックハウゼン講習会(1998-)は、自作の理想的な上演の伝統を後世に残すための理想的な環境である。
特定の演奏家との親密なコラボレーションも、理想的な上演のために必須である。初演に際しては、リハーサルを重ね、楽譜の細部をブラッシュアップをしていく。

シュトックハウゼン作品でもっとも重要視されるべきは音量バランスである。彼の音楽を特徴づける多層的な構造が聴き取れるように、各楽器間の音量バランスには細心の注意が払われるべきで、初演前(場合によっては後年の改訂時)の楽譜の修正の多くはこの点にある。

1950〜60年代には、不確定性を用いた一連の作品群が多く作曲された。
演奏者の創意を生かすことも目論まれたが、概して演奏家の能力を過大視する傾向があり、そうした作品の最初期の試みである『ピアノ曲XI』(1956)で、すでに正確な演奏は困難、後年はあらかじめ固定されたヴァージョンを作成して、それを演奏することを推奨する。いくつかの作品では、不確定な要素を固定した新ヴァージョンが作曲された。(例:3xREFRAIN 2000, MIXTUR 2003, STOP und START)

1965年以降になると、+-などの記譜法でシンプルに書かれ、即興的要素が高まった一連の作品が生まれるが、これらは長期間のコラボレーションを重ねた演奏者の存在を前提として作られている。
短いテキストのみによる直観音楽もこの延長線上にあるが、実はその演奏実践はきわめて具体的である。
一見、神秘的にみえるテキストも具体的な演奏法、音響が想定されていることを、シュトックハウゼン自身の膨大なテキスト、アンサンブルとのリハーサルの記録(未出版)から理解することが出来る。

「私は降霊術をしたいのではない。私は音楽をやりたいのだ!神秘的なことではなく、具体的な体験に基づいた絶対的に直接的なものを求めている。私が心の中に思い描いているのは不確定なものではなく、直観に基づいた確定的なものなのだ!」(1968年のダルムシュタット講習会にて)

ここでも重要視されているのが、各楽器間の音量バランスである。全員が好き勝手に演奏してカオスになるのを防ぐために、ばらばらなタイミングで長い沈黙を置き、全体のサウンドの透明度が高まる工夫が随所になされている。

この試みも、シュトックハウゼンの満足の行く形にはならず、1970年代以降は、ふたたび確定された楽譜による作曲に回帰する。
しかし、シンセサイザーのプログラミングや、管楽器の微分音の指使いなどを演奏者に任せる、など演奏者の創意を生かせる作品もいくつか作曲されている。

作品の演奏に関しては、スコアの厳密な遵守を要求しているが、機械のように画一的に演奏することを求めているのではなく、スコアの厳密な再現からすらも通過する演奏者の個性の表出は、むしろ好んでいる。
また。クリックトラックは必ず自分の肉声でカウントしたり、多少不正確なリアリゼーション(TELEMUSIK)であってもそれを許容することがあるなど、アナログ的な感性を重視する側面もある。